休暇と本

 

本を読んでウトウトする、ウトウトしてまた本を読む。この世の極楽。

 

空港での待ち時間、飛行機の中で、朝早く目が覚めたとき、海岸やプールサイドで日光浴をしながら、僕は本を読んでいた。実際、本は旅行の必須アイテムである。休暇でも出張でも、旅をしていると「待ち時間」が結構多い。亡くなった僕の父は、旅行が好きなくせに、乗り物が遅れたりして計画が狂うと、とたんに不機嫌になる人だった。それは分かる。誰だって他人のせいで、自分の時間を無駄に潰したくない。だからこそ、本が必要になってくる。絶対的な時間を短くすることはできない。しかし、相対的な時間なら短くすることができる。つまり、楽しいことをしていれば、時間が速く経つ。面白い本があれば、待ち時間を短くできるのだ。

ロンドンに戻る前日、海岸に寝そべり、青い空と海を眺めながら僕は考えた。

「どうして僕は今ここにいるのだろうか。」

子供の頃、自分がいつかマヨルカ島の海岸で、寝転んで本を読むことになるなんて、考えたことがあっただろうか。

今回マヨルカに持って行った本は、スウェーデンの作家、ヘニング・マンケルの「豹の目」という本だった。この小説の主人公は、二週間の休暇のつもりでアフリカのザンビアを訪れる。しかし、結局「偶然の悪戯」で、十九年間、アフリカに住むことになる。

考えてみれば、僕が転勤でヨーロッパに来たときも、ここに住むのはせいぜい三年か四年のことだと思っていた。しかし、結局、色々なことが起こって、三十年近くヨーロッパに住むことになってしまった。

「これって偶然なんだろうか。」

僕は考える。「豹の目」の主人公はアフリカとアフリカ人を嫌っているし、僕も二十年近く住む英国を何故か好きになれない。いまだに英語の本も読まなければ、英国のテレビも見ない。自分で好んで道を選んだとは思えない。

しかし、僕が今ここにいることは、単に偶然の帰結なのか僕は考える。偶然を装いながらも、実は必然的にこうなるように、僕は行動していたのではないかと思う。「豹の目」の主人公も、どこかに「アフリカに留まりたい」という深層心理があり、それが偶然を装って現れたのではないかと思う。

いずれにせよ、浜辺に寝転んでいるのは文句なしに気持ちが良い。五月のマヨルカ島は最高。まず、気温が二十度から三十度の間で、極めて快適。真夏になると四十度近くなり、これは、ちょっと辛い。

また、五月ならどこも空いている。海岸もガラガラ、観光地もガラガラ。人が少ないから、レストランやカフェでもすぐ注文できるし。レンタカー会社も客が少ないから、至極ドンブリ勘定。

これまでギリシアのエーゲ海の島々を六つ訪れ、そのたびに海の青さに感激した。しかし、マヨルカ島の海の色もエーゲ海の島々に勝るとも劣らないものであった。それに安い。

「ここも捨てたものじゃないやん。」

 

確かに、この海の色は何物にも換えがたい。