シュールな風景
激しいアップダウンをものともせず、マヨルカ島の道に挑むサイクリストが多い。
アルクディアの皆と旧市街を訪れた後、昼過ぎにアパートに戻って昼食にラーメンを食っていると、デートレフから電話があった。彼は「お勧めスポット」を十個ほど教えてくれた。僕は、地図を見ながらその場所に印をつけた。
四日目、「デートレフのお勧めのスポット」のうちまず三箇所、カローブラ、トレント・デ・パレイス、ユック修道院を訪れることにする。朝八時にアパートを出て、ポレンサの町から山道を走る。朝早いが、サイクリングをしている人たちが大勢いる。サイクリングは朝の方が涼しくて楽なのだろう。デートレフもサイクリングが趣味、おそらく、マヨルカ島でも、あちこちを自転車で訪れているのだと思う。山を登るにしたがって、木は少なくなり、緑の草の間から、白い岩がニョキニョキと突き出ている風景画が続く。秋吉台のカルスト台地と似ている。(後で知ったが、マヨルカ島には沢山の鍾乳洞があるのだ。)
一時間ほど走り、峠を越えた後、脇道に入る。最初も目的地、サ・カサローブラまで十キロという標識が見える。デートレフによると、この道は狭いつづら折りで、時速十キロから二十キロくらいでしか走れないという。時速十キロと言うのは極端だったが、ヘアピンカーブの連続。峠の標高が六百メートル、サ・カサローブラは海辺であるので、十キロを行くうちに六百メートル下る、かなりの急坂ということになる。その坂を、ヨイショヨイショと自転車を漕ぎながら上がってくる人達と次々出会う。
サ・カサローブラはなかなか可愛い入り江だった。朝が早いので、駐車場には二、三台しか車もなく、村には人影が見えない。湾に沿って歩くと、岩を掘った細いトンネルがあった。全長百メートルほどの狭いトンネルを抜けると、両側を崖で囲まれた石の転がる河原に出た。そこがトレント・デ・パレイスだった。峡谷の入り口である。クレタ島で訪れたサマリア・ゴージに似ている。崖は海に向かって開いていて、そこに狭い砂浜がある。両側はほぼ垂直の崖で、水溜りにはマスのような魚が泳いでいる。僕達の他は誰もいない。ちょっと現実離れした場所だった。
渓谷を遡るように歩いてみる。途中でドイツ人のカップルと出会う。
「まさに『ツェン』の世界ですね。」
と男性が言った。普通なら、彼が何を言っているか分からないところだが、そこはドイツ語の「達人」である僕、理解は完璧である。「ツェン」とは「禅」のことなのだ。確かに、中国の水墨画に描かれた深山幽谷の風景に通じるものがある。
「確かに、『シュールレアリスティック』な風景ですね。」
と僕は答える。水面に反射した太陽の光が、岩に模様を作っている。その模様が、風の動きでサラサラと動き回る。僕はパルマ大聖堂で見た「光のシンフォニー」を思い出す。あれがシンフォニーならこれは「光の弦楽四重奏」だと思う。
川を遡ると、谷が深くなり河原がなくなった。ドイツ人のカップルは山道に入って言ったが、僕はサンダル履きなのでこれ以上は無理。戻ることにする。
シュールで水墨画を思い起こさせるトレント・デ・パレイス。