ドイツの植民地
僕達の滞在したリゾート施設「ベレヴュー」、十棟を越えるアパートと六つのプールがある。
話は変わるが、国内統一が遅れ、植民地獲得競争で大きく遅れを取ったドイツは、スペイン、ポルトガル、オランダ、英国、フラスン等に先を越されて、殆ど植民地を持つことができなかった。またわずかに持っていた植民地も、第一次世界大戦後に失ってしまう。しかし、嘆くことはない。ドイツには「マヨルカ島」があるのだ。
実際、マヨルカ島のことを、皮肉をこめて「ドイツの植民地・コロニー」と呼ぶ人は多い。そして、ドイツ人のうち数パーセントは、本当にここがドイツの「植民地」であると信じているという。
余りにも、保養地化された保養地、観光地化された観光地ということで、これまで妻も僕もマヨルカ島で休暇を過ごすことに、二の足を踏んでいた。しかし、今回、
「とにかく天気が良くって、暖かいところへ行きたい。」
というふたりの希望で、休暇の行き先がこの島に決定したのだった。
行くと決まったからには、そこは日本人観光客、調査を怠らない。図書館からマヨルカ島の観光案内書を借りてきて研究をする。マヨルカ島は三千六百平方キロメーターというから、沖縄島の三倍の面積を持つ大きな島。温暖で日照量が多く、北ヨーロッパの人々には、とても「頼りになる」島である。大きいだけあって、スペイン一部リーグのサッカーチームまである。また、テニスのラファエル・ナダルがこの島の出身であるという。
僕らを乗せた飛行機はバルセロナの上空から地中海に入り、マヨルカ島の上空にさしかかる。北の方に高い山が聳えるが、南の方はほとんどが平地だった。飛行機が着陸態勢に入る。
「座席の背もたれを元の位置にお戻しください。」
とのアナウンスは入らない。だって、僕達の乗った「イージージェット」の座席はリクライニングしないんだもん。
僕達の滞在するのは、島の北東、アルクディアという町。そこの六千人宿泊可能というリゾート施設の中にあるアパートを借りている。空港からバスに乗り、二時間かかってアパートに着く。アパートは八階建てで、僕達の部屋は七階。台所と寝室のリビングが一緒になった構成だ。
アパートの前が湖になっていて、そこを横切るボートに乗ってビーチに出ることができる。早速ビーチに出てみる。白い砂浜が見渡す限り続いている。地図で見ると十キロ以上ある。シーズンオフなので人は少ない。気温は三十度を少し下回る程度。海の水はあくまで澄んでいる。午後六時を過ぎても日光浴ができる。それどころか、これくらいの日差しが、ソフトでちょうどよい。
「マヨルカ島で何を見ようか、どこを訪れようか。」
とマヨルカに着いた日の夜、夕飯を食いながら妻と作戦を練る。
「そうや、デートレフに聞いてみよう。」
デートレフはドイツ人の友人。何度もここを訪れている。つまり「蛇の道は蛇に聞け」。
この海の色を見るだけで、来た甲斐があるというもの。