リーマン・ショック
同じセット、同じ衣装で、百五十年以上の歴史が演じられる。
「リーマン・ショック」、二〇〇八年に起こった世界規模の金融危機である。その発端は、米国の投資銀行、「リーマン・ブラザーズ」の経営破綻である。破産をしたときの負債総額は六千億ドル、六十四兆円であったという。
さて、戯曲「リーマン・トリロジー (The Lehman Trilogy)」は、一八四四年にドイツ、バイエルン州から米国に移住したリーマン三兄弟が、会社「リーマン・ブラザーズ」を立ち上げ、その会社が破産する二〇〇八年までの百六十三年間を描いている。
「そんな長い間にあった数々の出来事を演じるのに、さぞ沢山の人物が登場するんやろね。」
と思ってしまうが、何と、登場人物は三人だけ。その三人が色々な役割を演じ分けて、ナレーターまでやってしまう、まあ何とも目まぐるしい舞台であった。衣装は最初から最後まで同じ。ユダヤ人の男性がよく来ている長めの黒いジャケットコート。舞台装置は最初から最後まで同じ、「リーマン・ブラザーズ」のオフィスである。音楽はピアニストがひとりだけ。
「登場人物が少ないし、舞台装置も金がかかっていないんで、結構安上がりなんやろね。」
と思ってしまうが、切符は一万円近くする。
「何でやねん!」
しかし、僕は、一万円払ってもこの舞台を見たわけではない。土曜日の午後一時半、ボチボチ日本語教師の仕事に出ようと思っているところに、末娘から電話がかかってきた。
「パパ、今晩の舞台の切符が一枚余ってるんだけど、来ない?友達の夫婦が行けなくなったの。」
時間と場所を尋ねると、七時にピカデリー劇場だという。六時まで仕事だけど、何とか間に合う。ちょっと迷ったが、
「うん、じゃあ行くから、十五分前に劇場の前でね。」
ということで、急遽その劇を見ることになったのだ。急遽と言っても、そこは「事前リサーチのモト」と呼ばれている僕、インターネット百科事典「ウィキペディア」の「リーマン・トリロジー」の項を印刷し、地下鉄の中で読んでいたことは言うまでもない。
その「ウィキペディア」の説明によると、戯曲はイタリア人のステファノ・マッシーニによって書かれた。英語版は昨年初めて英国で上演され、今回は再演であるとのこと。 劇が、たった三人の俳優で演じられることも書かれていた。今回は、サイモン・ラッセル・ビール、ベン・マイルズ、アダム・ゴドリーの三人の男優が出演している。彼らが三世代に渡るリーマン家のメンバーを演じ分けている。
土曜日はロンドンで気温が三十四度まで上がり、その年一番暑い日だった。基本的に、英国の建物は冷房がない!一年間で一度か二度、気温が三十度を超える場所では、冷房は必要ないのだ。だから、たまに暑くなると、冷房がないだけに辛い。仕事を終えて、地下鉄とキックスクーターでピカデリー劇場に駆け付けたときは、開演の五分前だった。