「眠れる女と狂卓の騎士」
原題:Luftslottet som sprängdes (破裂した空気の城)
ドイツ語題:Vergebung (赦免)
英語題:The Girl Who Kicked the Hornet’s Nest(スズメバチの巣を突いた女)
2007年
ドイツ語の本の表紙と、英国での映画のポスター
<はじめに>
さて、三部作の完結編である。作者ラーソンが既に亡くなっているので、これ以上の展開はもうない。正に「これでお終い」なのである。二作目が、非常に「不完全」な終わり方であったので、最後にどのような結末が用意されているか、興味は尽きない。
<ストーリー>
父、ザラチェンコへの復讐を試み返り討ちに遭い、頭に弾丸を受けたものの、命を取り留めたリズベト・サランダーは、イェーテボリの病院に運び込まれる。そして、そこで頭から弾丸の摘出手術を受ける。手術を担当したのは、アンデルス・ヨハンソン医師である。また、リズベトから斧で切りつけられた父のザラチェンコも、何とか命は取り留める。そして、ふたりは同じ病院で治療を受けることになる。現場から逃亡したザラチェンコの息子、つまりリズベトの異母兄弟ローランド・ニーダーマンは、追手の警察官を一人殺害し、行方をくらます。
一方、警察では、記者ミカエル・ブロムクヴィストから、リズベトの過去とそれに対する治安警察の関与が記された極秘資料を受け取った捜査班のリーダーブブランスキーが、その書類を検察官エクストレームに提出する。一九七〇年代、ザラチェンコの亡命に関与し、その秘密をミカエルに流した治安警察官、グナー・ビョルクは、警察に連行される。しかし、警察も検察も、実際、治安警察を敵に回して捜査を続けてよいものかどうか、決めかねている。
ミカエル・ブロムクヴィストは、リズベトの無罪を信じ、何とか彼女を助けようと考える。まず、彼は妹のアニカ・ジャンニーニにリズベトの弁護人になってくれるように依頼する。アニカもそれを承諾する。更に、ミカエルは、同じくリズベトを助けようとしているミルトン警備保障の社長アルマンスキーに協力を依頼する。そして、いずれ始まるであろうリズベトの裁判に合わせて、リズベトに関する真相と、治安警察の陰謀を暴露する記事を雑誌「ミレニアム」に載せることを計画する。しかし、治安警察に関しては余りにも謎が多すぎて、彼自身、「ストーリー」の作成に苦しむ。
「ミレニアム」の編集長であったエリカ・ベルガーは、大手の新聞社、「スヴェンスカ・モルゴン・ポステン(SMP)」に引き抜かれる形で移る。しかし、新しい職場で、次々と嫌がらせやサボタージュに遭う。マーリン・エリクソンが、「ミレニアム」の編集長としてエリカの後を継ぐ。
リズベト、ザラチェンコ共に、病院で意識を回復する。ふたりとも重傷を負い、不自由な身体ではあるが、ザラチェンコは何とか、リズベトを片付けてしまいたいと考え、リズベトは何とか自分を守る手段を考える。ある夜、保安警察のメンバーのひとりがザラチェンコを訪ね、協力を要請するが、ザラチェンコはそれを拒否する。
逃亡中のニーダーマンは、更に数人を殺害して、金を奪って逃げる。警察は彼の足跡を追うことが出来ない。
ひとりの老人が、ストックホルムの駅に降り立つ。彼の名は、エヴェルト・グルベリ、かつて治安警察の一員であり、治安警察の中の更に秘密の組織である「セクション」の創設者でありその長であった人物である。そして、彼こそ、ザラチェンコの亡命を認め、ザラチェンコに新しいアイデンティティーを与え、ザラチェンコの秘密を守るために、数々の犯罪と、揉み消し工作を指揮した人物であった。彼は、セクションの事務所を訪れ、同じく引退していたもうひとりのセクションのメンバー、クリントンを復帰させ、リズベトとザラチェンコの事件の幕引きを図る。
彼は、まず出世欲に取りつかれた検察官、エクストレームを利用し、リズベトに関する資料は偽造だと思い込ませ、裁判を自分たちに有利な方向に持っていくように仕向ける。エクストレームはリズベトに同調的であったブブランスキーとソニア・モーディクを捜査班から外し、代わりにリズベトを嫌うハンス・ファステに事件を担当させる。また、グルベリとクリントンは、ミカエルと妹のアニタ、「ミレニアム」のメンバーの尾行、電話の盗聴を指示する。
グルベリは自らの「最後の使命」を実行する。彼は精神異常者を装った手紙を、政府の要人に送った後、イェーテボリの病院に向かい、ザラチェンコを射殺する。彼はリズベトをも殺そうとするが、ちょうど訪れていたアニタの機転で、リズベトを始末することはできなかった。彼は最後に自分に銃を向ける。事件は「精神錯乱の老人」の起こした事件と言うことで片付けられそうになる。しかし、余りにも「出来過ぎた」話に、ミカエルや警察の捜査班長ブブランスキーは背後にある組織の存在を、いよいよ強く感じ取るようになる。
グルベリの死後も、クリントンによる工作は続く。まず、ミカエルに情報を売った、「裏切り者」のグナー・ビョルクが自殺を装って殺害される。リズベトの過去に関する資料の入ったアニカの鞄が強奪され、ミカエルのアパートにあったもう一部の資料も盗まれる。
「これで全ての証拠資料が盗まれてしまった。」
とミカエルはアニカに電話で語る。しかし、実際は資料のコピーはもう一部存在し、その言葉は自分たちの電話が盗聴されていることを知ったミカエルの打った芝居であった。
ミカエル自分を追う「影の組織」に対して反撃に転じる。彼は、アルマンスキーの協力を得て、自分の尾行者の写真を撮り、盗聴されている電話やコンピューター以外の手段で、仲間と連絡を取り始める。そして、盗聴されている本来の電話で偽の情報をばら撒き始める。
リズベトは順調に回復するが、自分の置かれている立場が分からないことにフラストレーションを募らせる。ミカエルは、病院内で警察の監視下にあるリズベトと何とか連絡を取ろうと考える。そして、清掃会社の職員と、リズベトに対して同情的な医師、アンデルス・ヨハンソンの協力を取り付け、リズベトにポケットサイズのコンピューターとバッテリーの充電器を渡すことに成功する。それにより、ミカエルとリズベトは連絡を取り合うことができるようになる。リズベトは自分の置かれている状態を知り、ミカエルは自分の作戦を彼女に伝え、記事を書くことに対する彼女の承諾を得る。
ミカエルから治安警察の内部の「組織」の存在について知らされたアルマンスキーは、かつて一緒に仕事をし、気心の知れた、治安警察護憲部長であるトルステン・エドクリントを訪ねる。エドクリント自身も、自分の属する組織の中にそのような別の「セクション」があることを知らなかった。彼は思い悩んだ末に、自分の部下である女性警視、モニカ・フィグエローラに調査を命じる。
モニカは、ビョルクの流したリズベトに関する資料の信憑性、ミカエルを尾行している男達の正体、そしてザラチェンコを射殺しその後自殺した自称「経理コンサルタント」グルベリの正体を探って行く。彼女はまたミカエルを尾行する男が同じく保安警察の一員であること、グルベリがここ数十年間、「コンサルタント」として活動した痕跡のないことを知り、上司のエドクリントに報告する。
エドクリントは、保安警察内に「独自に活動する非合法な組織」の存在することを確信し、それを法務大臣と首相に内通する。ある夕方、モニカはミカエルを呼びとめ、同行を求める。彼女はミカエルをある家に連れて行き、そこでエドクリントと首相、法務大臣に会わせる。
集まった彼等の間で秘密会議が持たれる。その結果、治安警察内に「セクション」に関する捜査班が作られることになる。ミカエルはそれに協力し、自分の知っている情報を提供することと引き換えに、捜査活動から得られた情報の提供を受けることになる。その後、ミカエルとモニカの関係は急激に深まり、ふたりは肉体関係を持つ。
ミカエルとモニカの調査により次第に、治安警察内の「セクション」の存在と、その構成メンバーが明らかになってくる。表向きは「経理コンサルタント」であったグルベリもかつて治安警察の一員であったことが明らかになる。ザラチェンコの殺害は、もはや、精神錯乱の老人の犯行ではなく、口封じの為の組織的な殺人であることが明らかになってくる。しかし、問題は、証拠がないことである。実際裁判になれば、証拠がない限り、「セクション」の存在と、その犯行を実証することができない。
リズベトは順調に回復し、ヨナソン医師もリズベトの退院に「ゴーサイン」を出さざるを得なくなる。裁判の日程が決まり、それが近付いてくる。ミカエルとアニタにとって、裁判における最大の障害は、精神科医ペーター・テレボリアンであった。「セクション」と運命共同体であるテレボリアンが、医学的な立場からリズベトが今後精神病院で過ごすことを主張すれば、それを覆すことは難しいと思われた。ミカエルは何とかテレボリアンの弱点を見つけることができないかと腐心する。
一方、次第に追い詰められてきた「セクション」は次第にその戦術をエスカレートさせる。彼等はミカエルの書いたリズベトに関する記事が、公表されることを、あらゆる手段を使って食い止めようとする。そして、遂に殺し屋を雇って、ミカエルを殺害することを計画する・・・
<感想など>
治安警察内に設置され、今や「治外法権」の組織と化した「セクション」と、それに立ち向かう者達の戦いの物語である。「セクション」に立ち向かうのは四つのグループである。
@
ミカエルと妹のアニカ
A
リズベト自身とそのハッカー仲間
B
アルマンスキーから捜査を依頼された治安警察のエドクリントとモニカ
C
ブブランスキーとソニアが率いるストックホルム警察の一部のメンバー
それに対して、「セクション側」の頼みの綱は、
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将来の地位と引き換えに「セクションへ」の協力を約束させられた検察官エクストレーム。
A
最初からセクションと運命共同体である医師ペーター・テレボリアン
である。基本的に、「検察」と「医者」というものはある種の治外法権的な「権力」を握っている。相手にするには最も手強い相手である。おまけに、「セクション」側によって、重要な証拠と証人が次々と抹殺されていく。その中でミカエルとその協力者達はどのように戦いを進めていくのか。それがこの物語の見所である。
この物語のクライマックスは、リズベトの裁判のシーンであることは誰も認めるところであろう。法廷はどのような小説でも、ドラマチックで、絵になる場所なのである。
私が、この物語の中で、一番共感を覚えた人物、それはイェーテボリの病院の医師、ヨナソンである。彼は、リズベトの頭の中にある弾丸の摘出手術を担当する。最初は、医者としての義務感から行動していた彼は、次第にリズベトに興味と共感を覚えるようになり、テレボリアンその他、権力からの干渉を断固として拒否する。権力に負けず、医者としての正義感、倫理観を守り通す。極めて常識的な人物であるが、それだけにこの物語の中では魅力を感じる。
リズベトにとって、父親ザラチェンコは母の敵である。彼女は父親への復讐、父親の抹殺を試みる。しかし、その際のタフさ、執拗さ、それが全て父親譲りであることが面白い。リズベトは、父親を否定しようとする、しかし、リズベトに最も似ている人物、それは自分が否定しようとしている父親であることが、面白く皮肉でもある。
リズベトが何故、ミカエルを避けようとするのか、その理由、心理がイマイチ分からない。第一作の最後で、ミカエルに好意を抱き始めたリズベトは、彼女には珍しく、クリスマスプレゼントまで用意をする。しかし、ミカエルがエリカと一緒にいるところを目撃し、そのプレゼントをゴミ箱に捨て立ち去ってしまう。しかし、ミカエルが常に周囲にいる女性と関係を持っていることは、リズベト自身も知っているはず。嫉妬を理由にするのは当たらないと思う。彼女はミカエルが自分のことを「知り過ぎている」が故に、彼を避けようとするのであろうか。
三部作を通じて、エリカ・ベルガー、セシリア・ヴァンガー、リズベト、ハリエット・ヴァンガーと、次々と関係を持ってきたミカエルであるが、三作目では治安警察の女性警視モニカ・フィグエローラと関係を持つ。彼女は女性ながら、筋肉の塊、「マッチョ」である。しかし、本当に次々とやってくれると、感心しながら、半ば呆れながら、読んでいた。
数ヶ月に渡り、スティーグ・ラーソンの三部作と一緒に生きてきた。三作目を読み終わってしまい、それと別れなくてはならないことを、寂しく思う。三作目を読んだら、二作目で解決されなかった事項に、全て説明が付くかと思ったが、そうではなかった。例えば、二作目の冒頭、カリブ海に浮かぶグラナダでのエピソードは、結局説明がないままに終わってしまった。それも良いかも知れない。無駄のない小説は、現実離れしているような感じがして、かえって没入できないものだから。いずれにせよ、この三部作は、推理小説の世界で、今後とも名作と言われ、その歴史に残っていくものだと思う。
しかし、タイトルが原題、ドイツ語訳、英語訳、日本語訳で、全て違い、互いにかけ離れているのが面白い。個人的には「眠れる女(リズベト)と狂卓の騎士(ミカエルとアルマンスキー)」という日本語題が、一番内容を的確に表しているような気がする。
(2011年1月)