遠き山に日は落ちて
歩き終わって夕日の見えるテラスでビールを飲む。至福の時間。
ホテルは島の西側にあるので、夕日がよく見えた。トレッキングを終わりホテルに戻った後、ホテルのバーに直行。そこでビールを貰う。海を見下ろすテラスに座ってビールを飲みながら沈む夕日を眺める。最高の気分。ビールを飲んでほろ酔い気分になった僕は、リュックサックの中からブルースハープを取り出す。そして、テラスから少し離れた芝生の上に座ってそれを弾きだした。「ブルースハープ」というのは十個の穴の開いただけの小さなハーモニカ。長さが十センチもない。演奏するときには完全に手の中に隠れてしまう。
僕が遠慮がちの音でブルースハープを吹いていると、ひとりのおじさんが近寄って来た。ノルウェーから来たのだという。
「なかなか良いね。こっちへ来て何か吹いてよ。」
と言う。僕は立ち上がって、普通の音で、ドボルザークの「新世界から」の第二楽章を弾いた。
「遠き山に日は落ちて
星は空を散りばめん。」
日本では「家路」という歌。弾き終わると、テラスに座っているお客さんから拍手が起こった。
その後数日間、ホテルのプールサイドなどで、よく他のお客さんには話し掛けられた。
「あなた、今日はハーモニカ吹かないの?」
ブルースハープは、おそらく世界で一番小さな楽器だと思う。出る音の種類は十だけ。シャープ、フラットなどの半音、黒鍵の部分がない。でも、これで演奏できる曲も結構多い。単純なだけに、なかなか心を打つ音色が奏でられる。(上手に弾けばだけど。)
僕はロンドンに電車で通勤している頃、しばらくブルースハープを持ち歩いていた。財布を落としたとき、地下鉄の駅で、前に帽子を置いてブルースハープを吹けば、多分小銭を入れていってくれる人がいるだろう。そうしたら、帰りの電車賃ができると思ったから。
もう二十年近く前だが、一度、ブルースハープをリュックサック入れたまま、ヒースロー空港の手荷物検査を受けようとした。四角い金属の塊なので、検査に引っかかってリュックサックの中を調べられる。
「これは何ですか。」
「楽器です。」
「じゃあ一度鳴らしてみて。」
僕はそのとき英国に敬意を払って、英国国歌「ゴッド・セーブ・ザ・クイーン」を吹いて、周囲の乗客からその時も拍手をもらった。その後十年以上ブルースハープは引き出しの中に埋もれていた。ラ・パルマに行く数日前に、何年かぶりにそれを見つけて、山の上や海岸で弾くのもいいだろうと思って持って来ていたのだった。ノルウェーのおじさんのおかげで、久しぶりに聴衆の前で演奏してしまった。
毎日雲の様子が違うので、色々なパターンの日没が楽しめる。