セミの声とコオロギの声
トモコと。彼女は小学校の先生、従兄弟のFさんの娘さん達も彼女に習っていた。
「ええっ、何でここが分かったん。」
と驚いた。
「今鞍馬口のお母さん(生母のこと)へ行ったら閉まってたんで、おそらくここで晩御飯を食べたはるんやないかと『本能的』に思ったんよ。」
という返事。
「しかし、トモコちゃん、ええ勘してるなあ。」
女性の「勘」「本能」には本当に驚いてしまう。この辺り、中華料理、定食屋、回転寿司など沢山あるのに。
店を出てふたりでコーヒーショップに入って三十分ほど話をした。この店、生母の家の真前にあるのだが、入ったのは初めて。
彼女はご主人に先立たれている。またお父さんも亡くしている。二人の家族をそれぞれ看取ったときの話をしてくれた。酒と煙草好きのお父さんは、死ぬ直前まで、酒と煙草を嗜まれていたという。
「どうせ助からないものなら、最後まで好きなことをやらせてあげる。それはそれで良いことだと思うよ。」
と僕は「食べられない、飲めない、動けない」父を思い出してそう言った。一時間ほど話して彼女と別れる。退院早々、あんなに動き回って大丈夫なのかと、心配になってしまう。
トモコと会って話したことが「呼び水」になったのか、僕はトモコと別れた後、堪らなく誰かと話したくなった。生母は帰っていない。それで、電話番号が分かっている限りの日本の友人に電話をかけまくった。
夜になると、網戸を通して、セミの声ではなく、コオロギの声が聞こえてくる。十時ごろに帰ってきた生母と真夜中近くまで話す。
熟睡できないままに朝を迎える。虫の声がセミの声に変わる。朝から疲れた感じ。生母の作ってくれたチャーハンを食べる。時差ボケが治まり、ようやく朝の食欲が戻ってきたのは良い。生母の家では新聞を取っていないので、近くのコンビニで新聞を買ってきて読む。新聞が読みたくなったということは「外界に対する興味」も戻ってきたのだろう。しかし、もう少しグッスリ眠りたい。
前回六月に帰った時、友人で医者のD君に処方したもらった睡眠剤が切れたので、翌朝八時過ぎに自転車で家を出て、岡崎のD医院まで行く。
D君と話し、処方箋を書いてもらって、受付で、
「おいくらですか。」
と聞くと、
「今日はお金は結構です。」
とのこと。同級生というのは嬉しいものだ。
道端で台車の修理に余念のないおじさん。