何もしないのに疲れる一日
お米屋さん。当然のことながら、宅急便も受け付けている。
父と一緒にいるだけ、つまり横に座っているだけで、一日別に何もしていない。しかし、いつも夜になると凄く疲れているのが分かる。父と一緒にいると、それなりに心の重圧を常に感じているのだろうか。父には悪いが、ときどきベッドに寝ている父が「骸骨」とオーバーラップしてしまうことがある。そんな意味では、イズミとカズヨと話せたことで、かなり心は楽になった。
夜が明ける。夜中開けっぱなしだった窓と網戸を通して、セミの声が聞こえてきて目が覚める。「窓を開けっぱなしで寝られる」、「セミの声」、日本にいるのだなと思う。不整脈は治っているが、まだ疲労感が抜けないので、朝の散歩はパス。朝食後また横になる。
昨日は自転車を病院に置いて、タクシーでイズミとカズヨに会いに行ったので歩いて病院へ。父の病室に入り、
「待ってた。」
と言われると、嬉しいような、切ないような気分になる。
夕方まだ病室にいたが、その日は本当に大変だった。父が水を飲みたがり、しきりにナースコールを押す。五分に一回とか。しかし、基本的に父は水を飲むことができない。それで口を漱ぐだけになるのだが、それをも頻繁に要求するのだ。五分に一度呼ばれる看護婦もたまったものではない。だんだんと、言葉に棘がでてくるというもの。そうすると父が、
「看護婦の態度が悪い。」
と言って、また意地になってナースコールを押す。その間に入って、本当に疲れた。
僕が、病院側の意見を代弁するようなことを言うと、
「医者でもないのに分かったようなことを言うな。」
と叱られるし。まあ、それは「ごもっとも」な意見であるのだが。
痰が溜まって、血液中の酸素量が少なくなると、痰の吸引と酸素吸入を繰り返す。痰の吸入は辛いらしく、父は口を閉じてしまう。すると今度は鼻からチューブを入れられ、余計に辛い思いをする。抵抗する父の手を押さえているときはこちらも辛い。
夕刻になり父の様子が少し落ち着き外に出る。疲れ切っていた。今日は生母が外出していて夕食を作れない。それで、病院と生母の家のちょうど中間あたりにある「極めて庶民的な」中華料理屋に入って夕食を取る。この店は、六月に帰国したときにも来たことがあり、そのときはカウンターで隣に座っていた「競馬に負けたおっちゃん」と話した。
カウンターに座り、横を見ると同じ「おっちゃん」が座っているではないか。このおっちゃん、小ジョッキで生ビールを何度もお代わりをする。
「最初から中ジョッキが大ジョッキで頼んだらええやん。」
と思うのだが。テレビでは高校野球が終わり、ナイターの阪神戦が始まった。生ビールの「大」を飲み、餃子を食っていると、誰かが肩を叩く。振り返るとトモコがいた。
レトロなスクーターが並ぶ店。