お弁当の差し入れ
朝の紫明通り。六時過ぎというのにもうセミの声がうるさいほど。
十一時ごろ、
「ご面会ですよ。」
と看護婦に呼ばれて外に出ると、トモコがいた。ええと、今日は何曜日だっけ。やっぱり土曜日。
「あれっ、『今日』退院やなかったの。」
と聞くと、
「今さっき、退院してきてん。お弁当持ってきた。」
とのこと。つまり、彼女は、今朝退院し、家に戻り、弁当を買って、自転車に乗って届けてくれたということ。彼女の家は病院から歩いても十分とかからない。
「ありがとう。でも、退院した早々そんな動き回ってええんかいな。」
と心配になってくる。
「ええねん、もう元気やから。」
日本では一日二食主義なので、(時差ボケのときは普通に食べると胃がおかしくなるので)もらった二食の弁当のひとつは昼前に来た継母に渡し、もうひとつは持ち帰って生母に食べてもらった。
昼前から不整脈が出始める。やはり疲れが出てきているのだ。それで、生母の家で少し昼寝をし、二時ごろに病院に戻る。父は喉が渇くらしく、しきりに水を飲みたがる。気温が高いので当然のことだ。
「飲んだらダメ。」
と言うと、今度は口を濯ぎたがる。それを五分か十分ごとに訴えるので、付き添いの者も、その度にナースコールで呼ばれる看護婦さんたちも大変だ。食べ物がやはり気管から肺に入っているらしく、痰がひどい。三十分ごとに鼻や口からチューブを入れての吸引が繰り返される。透明に近い痰がチュルチュルと音を立ててビンに溜まって行く。本人は苦しがるし、見ているのが辛い。
父に頼まれて、父の爪を切り、髭を剃る。両方とも初めての経験だ。幼い頃、父に爪を切ってもらった記憶はあるが。
今日はイズミとカズヨという同級生と一緒に夕食を取ることにしていた。よく考えると、京都では女性とばかり会っている。カズヨはニュージーランドに住んでいる。ニュージーランドに住んで滅多に帰らない彼女と、英国に住んでいて滅多に戻らない僕が、偶然一緒の時期に京都にいる。それに気付いたイズミが、食事会をアレンジしてくれたのだ。
病院の前からタクシーに乗り、待ち合わせ場所の「四条大宮、嵐電の駅前」で降りる。黒いワンピースを着たカズヨが立っていた。彼女と会うのは十年以上ぶりだが、一目で分かった。黒いゆったりしたワンピースが何となく「魔女」という雰囲気を醸し出している。彼女は中学のとき僕と同じ水泳部で、僕は平泳ぎが専門で、彼女は背泳の選手だった。
鴨川の堤防から大文字山を望む。今日も暑くなりそう。