京都の寿司屋
寿司屋で継母と。
「今日は、Fさんは来たか。家内は来たか。」
と父は僕に何度も尋ねる。
「さっき来はったやん。」
と言うと、
「俺もボケてしもうた。」
と言う。夕方になりまた熱が上がってくると、意味不明の言葉が多くなる。
五時ごろから激しい夕立があった。五時半頃に継母が現れるが、ずぶ濡れだ。今日は継母と一緒に夕食を取ることになっていた。しかし、そのままでは継母が今度は肺炎になりそうなので、一度着替えるために帰ってもらう。
六時ごろに病院の前でもう一度会って、ふたりで、北大路駅前の寿司屋へ入った。夕立は意外に長引いて、まだ小雨が降っている。
「お父さんが食べられへんのに、私達が美味しいもの食べるの、ちょっと気が引けるなあ。」
と継母は言う。
「ほんま、お父ちゃんには悪いけど。」
そう言って僕達は寿司の盛り合わせを注文した。継母御推薦、御用達のその小さな寿司屋は確かに美味かった。
京都では滅多に寿司屋へ行かない。しかし、妻の実家がある金沢ではよく行く。京都の寿司って何となく「ネタが新鮮でない」という先入観があった。金沢の寿司屋だと、今日の朝まで泳いでいた魚が「ネタ」になっているので、「新鮮さ」は抜群だ。
その寿司屋で食べて気がついたことなのだが、例えばアジを食べる。しかし、トロリとした口当たりなのだ。隣で同じものを食べている母が言った。
「これ、『仕事』がしてあるえ。」
つまり、気がつかない程度に僅かに加工してあるのだ。銀座の何とかとい有名な寿司屋で修行したマスターに聞いてみると、やはり微かに塩味がつけてあるという。ほかのネタもしかり、新鮮さを感じさせるように、より美味しく食べられるように、微妙な味付けがしてあるのだ。これは金沢など、新鮮さだけで勝負できる場所にはない技術だと思った。
土曜日、午前中病院へ。今日は原爆記念日。朝、広島からの式典の中継をテレビでチラリと見る。今日も暑くなりそうな気配だ。
病院に着いて。父に話しかけるが殆ど反応がない。それでちょっとパニックになってしまった。継母に、
「お父さん、今日は全然反応がないよ。」
と電話を入れる。
「時々あるねん。ウトウトと眠ってはるだけやし。心配せんでええよ。」
とのこと。実際、父は眠っていただけだった。胸を撫で下ろす。
今宮神社の御旅所の前にあるから「御旅飯店」。ここも一度入ってラーメンを食ったことがある。