空蝉しがみつく

僕の実家は金閣寺のすぐ近く。

 

落胆に満ちた父の昼食が終わってから、一旦生母の家に戻り、二時ごろまで少し休む。その後また自転車で病院に向かう。三十度を超える気温。ロンドンでは「暑い」と感じる気候だが、何故か暑さを感じない。今日は時差ボケも全然感じない。おそらく、今は他に考えることがありすぎて、暑さや時差ボケを感じている心の余裕がないのだろう。それらを感じるにも心の余裕が必要らしい。後になってどこかで、ドッと疲れが出ることになるのだと思うが。

 三時頃に、僕の従兄弟のFさんと、継母が相次いで現れる。継母は午前中「俳句の会」に行っていたそうだ。良い事だと思う。十日間足らずだけ父の看病に来ている僕と違い、継母はずっと父の世話をしている。長期戦でストレスも疲れも溜まるだろう。時間のあるときは他の事をして、気分転換をしてほしい。

「ボロ小屋の板戸空蝉(うつぜみ)しがみつく」

そんな句を今日は作ったとのこと。なかなか良い句だ。

 Fさんと継母が帰り、父と僕のふたりきりになる。午後になり熱が上がってきた父は、ときどき意識が混濁し始めている。ずっと傍に座っていると退屈なので、リュックサックから本を出して読み始める。とたんに、

「おい、本なんか何時でも読めるやろ。」

と父からの小言が入る。

「わしの看病に来ているときは、看病に集中せえ。」

と言うことらしい。しかし、父は仰向けに寝ているのだ。

「この人、横にも目がついてるんかいな。」

そう思いながら本をまたリュックに仕舞う。しかし、混濁した意識の中でも、僕が本を読み出した気配を察知するのはすごいと思った。

 午後六時半に病院を出て生母の家に戻る。

「今日は三十五度あったんよ。」

と生母が言うが、僕は日中病院にいたので、全然感じなかった。外を自転車で走っているときも、結構風が吹いていたし。シャワーを浴びたり、その他身体を動かしたときに、肉離れを起こした背中が痛む。

「いてて」

と、その度に顔をしかめる。

 夕食後、姉とトモコから電話がある。姉には父の容態を説明する。昨日京大病院へ見舞いに行ったトモコは、病室から携帯でかけている。明後日の土曜日に退院するそうだ。それはよかった。

 時差ボケで眠いのに眠れない。睡眠剤と酒の力を借りて眠る。昨日に引き続き、原色が飛び交う派手な夢を見る。せめて、夢の中だけでも、地味で落ち着いた気分でいたいのに。

僕の子供の頃からある飲み屋。一体今も営業をしているのだろうか。

 

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