ゼリーの昼食
暑いので鴨川で水遊びをしている若者が沢山いる。
トモコが携帯から送ってきたメールで、彼女が入院していると知ったのはかれこれ一週間前だった。きっと、もう大分に良くなって退屈している頃だろう。そう思い、僕は彼女に何か読み物を届けることにした。結局、僕が自分の書いたエッセーを印刷して持って行った。ロンドン名物の熊、「パディントン・ベア」のぬいぐるみを添えて。彼女はとても元気そうで、実際退屈していた。
自転車で移動していたが、天気は良いのに、ずっと霧の中を、あるいは雲の上を走っているような気分だった。午後五時半ごろ生母の家に戻ったときには疲れ切っていた。なんとか自分に鞭打って、銭湯に行き、夕食を取り、さあ眠ろうと思ったら今度は目が冴えて眠れない。時差ボケというのはやっかいなものだ。近くのコンビニに行き、焼酎を買い、お湯割りを作って飲んで、睡眠剤も飲んで、眠ろうと試みる。眠れることは眠れたが、原色の風景がグルグルと飛び回り、ときに炸裂する、派手な夢を見た。落ち着かない気分で目を覚ますと、木曜日の朝六時だった。
今回の日本滞在は、八月十一日までの一週間強だ。せっかく高い金を払って来ているのだから、もう少しゆっくりしたいところだが、八月十一日を逃すと、お盆休みに入るので、飛行機がどれも満席、ロンドンに戻れないのだ。
起きて鴨川まで歩き、ストレッチをする。とたん、背中で「ピクン」と音がしたような気がして、背中に痛みが走る。昨日ずっと飛行機に乗って凝り固まっていた筋肉を、急に伸ばそうとしたので、肉離れを起こしたらしい。
朝食後、北区役所に行って、住民登録をする。しばらくは京都市民になっておくことにする。これには事情がある。もし、父が亡くなって財産分与などの必要に迫られた場合、海外居住だと非常に手続きが難しいと聞いていたからだ。毎月四千円弱の国民健康保険料を支払わなければならないが。
手続きが終わって、病院へ行く。今日は父に昼食が出るそうだ。昨日フジタ医師と話した内容を思い出す。僕はフジタ医師に、ちょっとでも食べさせてくれるように頼んだのだった。そのお願いが何とか通ったようだ。父は久しぶりに口から物が食べられるということで、非常に楽しみにしていた。人間、食べること、飲むことは何にも増して、楽しみなことなのだ。
昼になり、昼食として持ってこられたのは、小さなプラスチックのお椀に入ったオレンジ色のゼリー。嚥下力の衰えた人間は、液体よりも、ゼリー状のものの方が飲み込み易いというのは聞いている。ベッドから車椅子に移った父は、そのゼリーに不満そうだったが、何とか食べだした。しかし、父の様子を見て、食べ物が正しく胃の方に入らず、気管に入っていると判断した付き添いの看護婦により、その小さなゼリーさえ、三口か四口食べたところで取り上げられてしまった。父の落胆は大きい。久しぶりの食事の様子をフジタ医師も見に来た。看護婦からの報告を聞いて、彼女も苦悩の表情を浮かべている。
鴨川の堤防から比叡山を望む。