父との再会

マスク、エプロン、手袋をしないと、父の病室は入れない。

 

京都に到着したその日から色々なことがあった。しかし、長旅の疲れと、まだ飛行機の中で飲んだ薬が効いていたのだろうか。霧がかかったような記憶しかない。

実家に寄り継母と会ってから、父の入院する病院へ行く。部屋は六月に訪れたときと変わっていない。しかし、「MRSA」の菌が父の体内から見つかったとのことで、マスク、手袋、エプロンをしなければ病室に入れない。部屋に入るときと出るときは、消毒薬で手を洗わなければならい。家族以外の見舞いも謝絶になっていた。

久しぶりの対面で、僕も楽しみにしていて、それなりの感慨もあったはずなのだが、父と何を話したかよく思い出せない。部屋の前で看護婦のひとりに、

「お父さん、待っておられますよ。」

と言われたのは覚えている。一応父も僕の帰国を楽しみにしていて、周囲に話していたらしい。前回会ったときに比べ、父の衰弱は激しかった。

「独りで寝ているのは寂しくて堪えられない。」

「何か物が食べたい。」

父はそんなことを言った。

父は食物が気管を通じて肺に入って炎症を起こす「誤嚥性肺炎」ということで、ここ数週間、口から食べたり飲んだりするのを禁じられている。人間の喉には「弁」があり、物を飲み込むとき一瞬その弁が閉まり食物を胃の方に送るのだが、高齢の父は、その弁がもう機能していないようなのだ。

父の担当のフジタ医師に呼ばれて、三十分くらい話した。彼女は、三十歳くらいの色白、日本人形のような顔立ちで、なかなか可愛い女性だ。

「お父様の肺炎の菌は抗生物質の効きにくいかなり強いものです。また肺炎が慢性になりかけています。口から物を食べると、肺炎がひどくなる危険があります。現在の点滴では必要カロリーの補給に限界があるため、高栄養輸液を太い静脈から注入するか、胃に穴を開けて、チューブで胃に栄養を送り込む『胃ろう』という方法が望まれれます。」

そんな話だった。

「父は食べたがっているし、少しでも口から物が入れば、気分的に少しでも楽になるかも。何とか食べさせてあげるわけにはいきませんか。」

と僕はフジタ医師に言った。彼女は

「考えておきます。」

と言った。

その後、病室に戻ると従兄弟のFさんが来られていて、また三十分ほど話した。しかし、何を話したか思い出せない。その日の午後のことはボンヤリ滲んでしまっている。

 帰国第一日目で、午後になり一段と疲れが出てきたが、午後三時、僕は父の入院する病院を出て、京大病院に向かった。今日は、病院の「はしご」である。入院中のもと同級生トモコを見舞いにも行ったのだ。彼女は顎を手術して、しばらく入院していた。そして、彼女は自分が手術を受けるために入院する前日、父を見舞ってくれていた。

 

京大病院へ行くには京都御所の中を抜けて行くのが近道。車も通らないし。

 

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