おめでとう、なでしこジャパン

フランクフルト空港の「ゲーテ・カフェ」でビールを飲みながら出発を待つ。

 

最初に断りしておくが、このエッセーは「看病物」だ。大部分が、死を間近にした(と当時は思った)父とその周辺の話題で占められている。従って、内容は結構暗いものだし、読んでいて楽しい気分にならないことは保障付き。それでもと言う方は読んでいただきたい。

幸いにして、父は奇跡的に快復し、この原稿を書いている三ヵ月後にまだ存命である。それどころか、僕は来週、もう生きて会えないと思っていた父に会いに、日本へ向かうことになっている。おそらく、父があのまま亡くなっていたら、このエッセーが陽の目を見ることはなかったろう。運命と父の生命力に感謝したい。

話はいつものように空港から始まる。二〇一一年八月二日、僕はフランクフルト空港で、関空行きの飛行機を待っていた。朝七時のロンドン発の飛行機に乗り、フランクフルト空港に着いたのが九時。関空行きの飛行機は午後一時半に出るので、四時間以上待たねばならない。

七月一日に日本から戻って以来、ほぼ一ヶ月でまた日本に向かうことになった。肺炎で入院中の九十歳の父の様子を見るためだ。父の容態、先行きについて継母はあまり確定的なことは言わないが、僕の本能に中に、

「今、もう一度父に会っておいた方がいい。」

と訴えるものがあった。こんな短いインターバルで日本に戻るのは初めてだ。

思えば、前回の一時帰国を終え英国に戻ってから一ヶ月、またまた色々なことがあった。しかし、何をしていても常に父のことが頭にあった。

色々あったといえば、今年は大震災、津波と日本にも大きな出来事があった。「悲しい」ニュースが多い中で、最も大きな「嬉しい」出来事は、「なでしこジャパン」がドイツで行われた女子サッカーのワールドカップで優勝したことではないだろうか。

実は優勝の翌日、僕は偶然ミュンヘンにいた。ミュンヘンの顧客と商談があったためだ。前夜は英国にいたが、英国では、決勝のテレビ中継がなかった。(イングランドは出場していたが、早々と脱落したからなのだろう。)しかし、僕はインターネットで日本対米国の決勝戦のハイライトは見ていた。

訪問したドイツの客から、

「日本の優勝おめでとう。」

と言われた。ドイツで行われた大会だし、日本は準決勝でドイツを破っていたので、ドイツ人の関心は高かった。タクシーの運転手や、列車で検札に来た車掌まで、僕が日本人だと分かると、

「おめでとう。」

と言ってくれた。ミュンヘンからフランクフルトまで、「ICE」(インター・シティー・エクスプレス=ドイツ国鉄の特急列車)で移動したが、女子ワールドカップの特別塗装の施された車両だった。

 

女子サッカーワールドカップの特別塗装を施された特急列車。ミュンヘン中央駅にて。

 

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