卒業式とアフリカ音楽
ロンドン大学、アジア・アフリカ研究所の卒業式レセプションでの息子と妻。
しかし、肉親の病気のために帰国するというときの気分は、何となく落ち着かないし、待ち時間にも気が滅入る。僕は、娘のミドリに手紙を書いてフランクフルトでの待ち時間を過ごした。
ミドリへの手紙に、僕はまず息子のワタルの卒業式について書いた。
ドイツの出張から戻った翌日、息子の卒業式、正確に言うと、大学院の学位授与式があった。より正確に言うと、「翌日あった」というよりは「それに出席するために僕は前夜ロンドンに戻った」と言ったほうがよい。僕にはそれに出席「しなければならない」事情があった。実は僕は息子の大学の卒業式には出席していないのだ。そのときも出張でドイツにいた。
「今日は息子の卒業式だ。」
とドイツ人の同僚のデートレフに言ったら、
「おまえは親として最低だ、これからすぐロンドンに戻れ。」
とデートレフに叱られたことを覚えている。それで今回は何が何でも出席しなければならなかった。そうしないと、デートレフに絶交を申し渡されそう。
息子は昨年の十一月に修士号を取ったが、その授与式が何と半年以上経った七月にあるのだ。おそらく学部の卒業式と一緒にするためなのだろう。息子が学位を取ったのは「ロンドン大学・アジア・アフリカ研究所」。卒業式はロンドン大学のホールで行われたが、その時の音楽が、全てアフリカの音楽。黒人のお兄さん、お姉さんたちが、軽快なリズムを奏でながら歌い踊るというものだった。
卒業式の後、キャンパスの庭に張られたテントでレセプションがあった。卒業生も、先生方も、皆、ハリー・ポッターの魔法学校のようにマントを身に着けている。息子のマントはもちろん今日だけの借り物。赤いマントの副学長の先生がおられたので、
「今日はユニークな音楽でしたね。」
と話しかけると、
「今日は、名誉教授の授与式もあったでしょ。ふたりともアフリカの方だったので、アフリカの音楽にしたんです。あれが日本の方だったら、今日は日本の音楽だったと思いますよ。」
と副学長は答えた。
今回嬉しかったのは、父のことで気持ちが重い僕を、娘達が結構気遣ってくれたことだ。末娘のスミレはバレーの公演に誘ってくれた。ボーイフレンドと行く予定が、彼の都合が悪くなったということらしいが。
いきなり、世界最高峰のロシアのマリインスキー劇場バレー団の「白鳥の湖」。ちょっと退屈したが、とにかく余りにも動きが揃っているので驚いた。三十人がジャンプして、着地したときの「トン」という音が、ひとつなのだ。これはすごいと思った。
ロイヤル・オペラハウスの前で、末娘のスミレ。