従兄弟会
Sさんとは、北大路駅で待ち合わせ。直ぐ近くに鴨川が流れており、比叡山が臨める。
「絵を描くのが好きな人って、結構いるんやなあ。」
僕はN先生から送られてきた写真を見て、そう思った。前日、N先生と話しているとき、お母さまが絵を描かれるとお聞きした。それも日本画。プロかアマかは聞き忘れた。
「わあ、お母さまの絵、見たい見たい。」
とリクエストしたところ、翌日メールで写真が送られて来た。童話の挿し絵のよう、お遊戯室の壁画のよう、メルヘンチックな絵だった。とても、細かく、丁寧に書き込んであった。
僕は「絵がその人の性格を表す」とは思わない。優しい性格の人が優しい絵を描くとは限らない。普段の性格と、その作品が余りにもかけ離れていて、そのギャップに驚くこともある。音楽だってそう。冷酷非情なナチスの将校が、強制収容所でピアノが弾く。その演奏が、涙を誘うほど、感情に満ち溢れていることもあるのだ。
「僕の性格と、僕の描く絵って、釣り合いが取れてるんやろか。」
と時々思う。事実、
「あんた、顔に似合わん絵を描くなあ。」
と言われたこともある。それって、誉め言葉なのかな。
僕には、京都に帰った時、必ずと言っていいほど会っている従兄弟姉妹が二人いる。ひとりはFさんという男性、僕の父の姉の息子さん。僕より十歳以上年上である。もう一人は、Sさんという女性、僕の父の弟の娘さん。僕より一つ年下で、子どもの頃から兄妹のように育った。さて、Fさんが今年になってから、しばらく病気で入院されていた。僕が、京都に着く前に退院されたので、Sさんと一緒にお見舞いに行くことになった。
Sさんと北大路駅で待ち合わせて、そこからバスに乗り、Fさんのお宅に向かう。Fさんの奥さんと四人で昼食をいただきながら、久々の「従兄弟姉妹」の再会を祝う。前回このメンバーで顔を合わせたのは、もう四年前、僕の父の七回忌のこと。食事の後、Fさんが最近描いた絵を見せてくれる。Fさんも大学の頃は美術部で、「絵を描く人」なのであった。年賀状には、いつもご自身で描かれたイラストが添えられている。どれも、ちょっと懐かしい感じがする、子供の頃を思い出すような絵だ。
さて、先ほどの続き、作者の「人となり」、「性格」と絵は必ずしも一致しないと書いた。少なくとも僕はそう思う。しかし、その絵を見れば、その人が「何に心を打たれて、何を表現したかったのか」つまり「その人が絵を通じて何を伝えたかったのか」、つまり「意図」というのは分かる。それは、おそらく僕も「絵を描く人」で、常に何らかの「意図」を持って絵を描いているからだと思う。N先生のお母さまの絵を見た時もそうだったし、Fさんの絵をみたときもそうだった。
「この人たちは、こんなメッセージを送りたかったんや。」
そのメッセージがヒシヒシと伝わって来る。同じ趣味を持つ者の、共通の感性なのだろう。
京都滞在中に描いた絵。結婚プレゼントに、友人の息子さんにあげた。