お元気で何より
芝居が終わって、帰路につく人たち。Y子さんは、変な名前の薬のビンに入ったお菓子を記念に買っていた。
「繰り返しの笑い」、「マンネリズムの笑い」には大きな弱点があるよね。何回も見るうちに面白くなってくることが原則。だから、初めて見る人には全然面白くない。吉本新喜劇を嫌いだっていう人
「あれ、何が面白いの?」
って人も、結構多いんだよね。それと、繰り返しにも限度がある。同じことを、何ヶ月も何年も繰り返すと、さすがに可笑しくなくなってくるでしょ。だから、古いものを残しながら、少しずつ新しいことを混ぜていかなければいけない、これって結構難しいと思うよ。
日本では地方によって「笑いの文化」が違うの。インドでもやっぱりそう?僕の生まれ育った関西(大阪、京都、神戸のある地域)の人が面白いと思うことが、関東(東京、横浜のある地域)の人にはちっとも面白くなかったり、その逆だったりすることがあるの。吉本新喜劇は完全に関西の文化に根差しているから、関東やその他の地方では、
「あれ、何が面白いの?」
って感じる人も結構多いんだ。
さて、Y子さんと僕は、京都の劇場「祇園花月」で、ふたりとも生まれて初めて舞台を「ライブ」で見たわけ。この劇場、僕がハイスクールへ通っている頃は映画館で、千円ぐらいのお金でアメリカやヨーロッパの映画を三本見られた。
「学校の試験が終わった後は、よくここへ来て映画を見てた。」
とY子さん。
「学校の試験の前でも、ここへ来てたよ。」
と僕。ふたりの青春の一ページの場所なの。ともかく、元映画館なので、比較的小さい劇場。でも、舞台との距離が近いので、俳優さんの顔の表情が良く見えて、面白かった。コメディアンの人たちって、実に表情が豊かなんだよね。
それと、舞台劇、ステージプレイの前に、「漫才」ってのをやるわけ。「落語」がひとりで座ってコミカルなストーリーを語るのに対して、「漫才」はふたりで立って話をする。話している内容もさることながら、ふたりの間のタイミングで笑いを誘うんだ。これにも、ちゃんと「お約束事」があるの。ふたりの役割が「面白いことを言うことを期待されている役」と「間違いや笑う場所を客に指摘する役」に分かれているということ。「ボケ」と「ツッコミ」と言うんだけど。「ボケ」が面白いことを言って、「ツッコミ」がその面白さを増幅させるというかな。そのパターンは浸透していて、関西の人がふたりで会話をすると、思わず知らず「ボケ」と「ツッコミ」を演じてしまうんだ。これで、きみも日本のコメディーの権威になったね。
その日、「オール阪神、巨人」という漫才コンビが出てたの。彼らが舞台に登場したときは、Y子さんと顔を見合わせて、ふたりで同じことをつぶやいた。
「まだ生きておられたんですね。」
このコンビ、今から四十年前、僕たちが高校生の頃から舞台に立っておられて、テレビでは何度も拝見した。まさか、四十年後、お元気で生で見られるとは思っていなかった。懐かしかった。落語シアターで、ゼンジー北京さんというマジシャンを見たときも同じことを思ったけど。
橋を渡って劇場へ、京都の街中を流れる鴨川は鳥の楽園でもある。