重量制限

 

京都を舞台にしたドラマには必ず写る鴨川。堤に植えられた桜が美しい。

 

京都に着いた翌日に、デジタル秤を買ったの。どうして僕が体重を気にする必要があるのかって?自分の体重を量るためじゃないよ。それに、毎日銭湯へ行くし、銭湯には必ず体重計があるからね。飛行機に乗せる荷物を量るためなの。最近は、どこの航空会社もチェックインする荷物の重量にうるさくてね。オーバーするとスーツケースを開けて、機内持ち込み手荷物に移したり、それが出来なければ高額の超過料金を払わなくてはいけない。きみも、時々インドに帰るからよく知ってるよね。昨年の秋に日本へ帰ったとき、母の家の古い体重計で一応スーツケースの重量をチェックしていったんだけど、実際、チェックインのときコンベアに乗せてみると、二キロほどオーバーしていたの。結局超過料金は払わなくて済んだけど、ヒヤヒヤした。それで、今回は、デジタル秤で万全を期したわけよ。

荷物の重さを量るのは簡単、まず自分が何も持たずに秤に乗って、次にスーツケースを持って秤に乗る。そに差が荷物の重さ。日本を発つ前日の朝、そうやってスーツケースの重量を量ったら、二十九キロと四百グラムだった。妻から、京都の「漬物」(野菜のピクルスだね)を買って来てと頼まれていた。それは水分があるので、絶対にチェックイン荷物に入れないといけないの。重量制限の三十キロまでの六百グラム、漬物が買えるわけね。それで、僕は漬物屋まで自転車で行き、そこで百二十グラムの漬物を五パック買ったの。これで完璧。その日の午後、近くに住む叔母の家に、インターネットのルーターをつなぎに行って、その帰りにいくつかお土産をもらったんだけど、そのお土産は全部母の家に置いていった。だって、もう手荷物の方も、ラップトップとかカメラで重量制限の八キロちょうど、もうそれ以上何も持てないんだもの。

さて、翌朝、また例の乗り合いタクシーに迎えにきて貰って、母にさよならを言って、京都から関西空港に向かった。関西空港で、アシアナ航空のカウンターへ行き、スーツケースをコンベアの上に乗せた。

「きっちり三十キロ、参ったか。」

僕は心の中でそう言いながら、オレンジ色のデジタル表示を見つめた。何と、「二十九キロと七百グラム」と出ているじゃないの。

「しまった、こんなことなら、もう二パック漬物を買っとくんだった。」

 京都を去るときに、ちょど桜の花が咲き始めた。もう一週間長く居れば、いやもう二、三日で満開の桜を見ることができたのに。ちょっと残念。後ろ髪を引かれる思いで、ソウル行きの飛行機に乗ったの。でも、桜は来年も咲くし、その次の年も咲く。また見る機会もある。「年々歳花相似たり、歳々年々人同じからず」これは、昔の中国の劉希夷(りゅうきい)という人のお言葉。

 日本に住む従姉妹が、お土産にDVDをくれたの。日本のテレビのミニ・シリーズで「鴨川食堂」ってドラマ。京都が舞台になってる。探偵の話。でも、犯罪者を捜して捕まえるんじゃないよ。「思い出の食、捜します」、昔食べて心に残っている食べ物を捜してくれるんだ。初恋の人と食べたビーフシチューや、お祖父ちゃんと一緒に食べたオムライスとか、依頼者のわずかな記憶を基に、味を捜していく。英国に帰ってから見たけど、ストーリーも良かったけど、四季折々の京都の景色がきれい。こんなところに生まれて育った僕は幸せだと思ったね。でも、主人公の、ショーケンという俳優が(無理に)話す「京都弁」(京都の方言)が、ネイティブの僕にはちょっと耐えられない。あれだけ何とかしてよ。

 

朝の散歩のときに見かけた猫ちゃん。置き物ではなく生き物。

 

<了>

 

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