萩の風
京都御所でゲンシくんと。周囲には誰もいない平日の昼下がり。
買い物を終えて、自転車で生母の家に帰る途中、元「父の家」の前を通ってみた。二年前の父の死後、継母は鴨川の土手に近い実家に戻り、父の家は売りに出された。父の家、つまり僕の生まれ育った家は棟割長屋、もちろん木造家屋で、築後百年近く経っている。
「あんな古い家、買い手が見つかるかな。」
と継母も姉も僕も心配していたのだが、幸い売り出してから数日で買い手がついた。買ったのは京都の町家を専門に扱う不動産屋で、リフォームして売り出すとのこと。僕が通ったその夕方は、ちょうど仕事を終えた大工さんたちが片づけをしているところだった。僕は開いていた表戸から中を覗き込んだ。大工の棟梁が僕に聞く。
「どうされました。」
「この家、私が生まれ育った家なんですわ。どんな風になってるのか見とうて。」
と僕が言うと、
「どうぞ、どうぞ、中へ入って見ていってください。」
とのこと。僕は玄関からまだ工事中の家の中に入る。玄関の間、居間、食堂、台所が一階にあったのだが、その間の境が皆取り払われて、玄関から裏庭まで広いワンルームになっている。
「ふうん、日本でも広いリビングルームが人気なんや。」
僕は、この家が、千本格子の入った、純粋の町家風に改装されるのだと思っていた。しかし、そうではなく、結構モダンな感じに改装されているのが意外だった。最近、京都には町家を改装したレストランとか喫茶店が多く出来ている。ここで継母の句をまたひとつ。
「京格子 奥の茶房の 萩の風」 弘子
ここで「萩」が出たので、次の話題に移ることにする。父の家を訪れた翌日、ロンドンへ発つ前日、僕は幼馴染のゲンシくんと、萩の花の咲く梨ノ木神社の境内にいた。彼とは昼に荒神橋の袂で会い、京都御所の中にある休憩所でうどんを食った後、御所の中を散歩し、「清和院御門」をくぐって梨ノ木神社までやってきたのだ。歴史に名を残す「蛤御門」などのある御所の西側は、結構人の手が入っていて、明るい感じがする。しかし、東側は鬱蒼とした森であることを、僕は初めて知った。金に困った梨ノ木神社が、境内にマンションを建てようとして、住民の大反対に遭っているという。それは当然だよな。さて、その日もまだ気温が三十度を超え、森の中を歩いていると汗が頬を伝う。
ゲンシくんは先月末までヨルダンにいた。国際協力機構で働く彼は、世界中の国を巡って働いている。彼は三年間のヨルダンでの任期を終えて、日本に帰ってきたばかり。
「で、次はどこになったん?」
というのが僕が最初に彼にした質問だった。
「またソロモン諸島やねん。」
と彼は答える。ヨルダンの前の赴任地は太平洋に浮かぶソロモン諸島。第二次世界大戦の際、激戦地となったガダルカナル島を含む島々である。彼は二度目の赴任。
「また同じところで、あんまり新鮮味というか、感激がないんや。」
と彼は言った。
梨ノ木神社は萩の花で有名。