京都のアイリッシュ・パブ
ドンペイ・マスターと来店記念撮影。
「個室居酒屋」を出た僕たち四人は、四条通りの地下道を、同級生のドンペイくんが店長をやっている「アイリッシュ・パブ」へと向かった。しかし、僕の同級生の職業は、大学教授からパブのマスターまで多岐に及んでいている。しかし、京都に「アイリッシュ・パブ」があるとは思わなかった。英国では時々「アイリッシュ・パブ」を見かける。「普通」のパブと「アイリッシュ」のパブをどのようにして見分けるか、実に簡単なのだが、それでいて説明するのが難しい。「黒い看板に白い字で、独特の書体で書いた店の看板が出ている」とか「ギネスビールの看板が挙がっている」とか。とにかく、アイルランドのお店には独特の雰囲気がある。
ドンペイくんのお店は、四条大橋を渡り、四条通を挟んで南座の向かい側にあった。ビルの中のお店だが、なかなか英国のパブの雰囲気を忠実に再現している。使い込まれた「オーク」で出来た机と椅子が懐かしい。ウィスキーの樽を利用したテーブルも、ちょっと田舎風でよい。ドンペイくんには悪いが、お店は空いていた。タブロイド版の英字新聞を読んでいる外国人の男性がひとりいるだけ。でも、その人がいるお陰で、さらに英国のパブっぽくなっている。手が空いているので、ドンペイくんが結構僕たちの相手をしてくれた。
同窓会でも思ったのだが「同級生」と言うのは、「前置き」なく話せるのが良い。ドンペイくんにも三十年以上会っていなかったのだが、
「よっ、ケベ。」
「よっ、ドンペイ。」
と、直ぐに普通の会話に入っていける。何十年会っていなくても、かつて何年間か一緒に過ごしたときに嗅いだお互いの「体臭」覚えているからだと思う。犬が何年間も会っていなくても、昔の飼い主の「匂い」を覚えているように。その「オーラ」というか「体臭」というか「雰囲気」というのが頭のどこかに刻み込まれていて、それが会った瞬間に溶け出して瞬時にした僕らを包むような気がする。
「アイリッシュ・パブ」で二時間ほど過ごした。久しぶりに帰るユーコや僕にはとって京都は良い場所だが、ずっと京都に住んでいるオオツカGやヨリコにとっては、なかなか「しがらみ」の多い場所らしい。京都人って、考え方にかなり自己中心的なところあるからね。
阪急電車で帰るふたりの女性と四条京阪で別れ、僕とオオツカGはタクシーに乗った。夜になってもまだ暖かいのには驚く。まだTシャツ一枚でいられる。「寒い英国」から来た僕にはこの暖かさが有難い。「暑さ寒さも彼岸まで」と言うが、その日は九月二十三日。もうお彼岸は過ぎている。それでもまだ夏のよう。その日、僕はTシャツ一枚と半ズボンで行動できたし、ユーコも袖のないワンピースで外を歩いていた。持っていたジャケットは、冷房の入った室内で着ていた。町を歩いていても、まだまだ人々は夏の格好で歩き回っており、町家には夏の風物詩、スダレが吊られている。
「秋簾 ほつれしままに 機屋路地」 弘子
継母の句である。今日は四条へ行ったので、それにちなんだ句をもうひとつ。
「大店に 鉾染め抜きし 麻暖簾」
この「鉾」とは、もちろん祇園祭の「鉾」である。
ドンペイくんは店が終わった後毎朝「寝る前」にジョギングをしているという。