台風の被害

 

鴨川ではいつものように鷺が遊ぶ。

 

台風の話の続きである。僕が着く前週に日本を襲った台風十八号は、京都にも被害をもたらした。大雨で桂川が溢れ、嵐山付近は水浸しになった。鴨川も溢れそうになったそうだ。元々京都は、台風、大雨、地震などの自然災害にこれまで余り縁のなかった土地。珍しいこともあったものだ。そして、今回は僕の生母も台風の「被害」に遭った。「看板」が吹き飛んでしまったというのだ。

僕の母は、洋裁をやっている。主な仕事は和服から洋服へのリフォーム。幾つか母の「作品」を見せてもらったが、なかなか素晴らしい。特に振袖からリフォームしたイブニングドレスは、図柄が大胆なだけに、外国のパーティーに着て行ったら、スターになること請け合い。母は八十一歳にして、まだこの仕事で自活し、しかも、数カ月先まで仕事が入っているというのだからすごい。

話を看板に戻そう。それで母の家の前には、

「タンスに眠るお着物を、お洋服にリフォームいたします」

という看板が掛かっていた。十年以上前に僕が作り、数年前に姪のカサネをこき使って補修したものだ。それが数日前、強風で吹き飛んでしまった。幸い近所の親切な方が見つけて、母の家の前に戻しておいてくださった。しかし、水に浸かり、かなり傷んでの帰還となった。

「台風一過」なのかどうかは知らないが、京都に着いた翌朝は、晴れ上がった暖かい日。

「先ずは看板の修理から始めるわ。」

僕は自転車でDIYショップ、上七軒の「コーナン」までラッカーやその他の材料を買いに行った。午後は看板の書き直し。夕方までには完成し、看板を元通り、窓の格子に固定する。僕はその看板を横目に、タオルと石鹸の入った洗面器を持って、母の家の斜め向かいにある銭湯、「船岡温泉」へと向かった。

日本へ着いた翌日、必ず行くところがある。それは友人のD君の開業する医院である。時差ボケ対策のための睡眠薬を貰いにいくのだ。僕は、ママから借りたママチャリをキーコキーコと漕ぎながら鴨川の河川敷を岡崎に向かった。鴨川の水量はいつも通りだが、水辺に生える草が軒並みなぎ倒されていて、数日前の水量の多さがしのばれる。

D君は僕が行くと、同級生のよしみで、いつも他の患者さんより先に診てくれる。その日もD医院に着き、スリッパに履き替えて待合室に入ると、十人近い人たち(大部分はお年寄りだが)が待っていた。僕は、受付で名前を書く。間もなく、

「カワイさん、お入りください。」

との声。

「何やこいつは、順番飛ばしをやりやがって。」

周囲のご老人たちからの「白い眼」を感じながら僕は診察室へと入っていった。嬉しいけれど、ちょっと後ろめたい。でも有難い。

 

朝の散歩の途中、近くの寺で見つけた表情豊かな石像。

 

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