勝手の分かったお勝手

 

これは僕の作った料理・・・のはずはなく、前日の「平八茶屋」でのもの。

 

「サラダ油どこやったっけ。」

僕は高校の同級生のGくんに尋ねた。Gくんの家の台所、どこに何があるのか、頭に入っているはずだったのだが、一年経ったら忘れてしまった。と言うのも。昨年帰国した際に、三日間のホテル隔離の後、自主隔離場所として、Gくんのお宅の離れを十一日間お借りした。Gくんは普段お父様と住んでおられるが、そのときはお父様が入院されていて留守だった。その間、僕はこの台所でGくんと二人分の料理を作っていたわけ。

「つまり、ここは勝手の分かったお勝手なのね。」

と冗談を言う。僕が隔離から解放され、マンスリーマンションに住み始めた後も、時々、Gくん宅を訪れては、夕食を作っていた。

「それって、『通い妻』とちゃう?」

と誰かに言われた。

今回、一年ぶりに、Gくんの家で作る夕飯。今夜の献立は、キノコのオムレツにキャベツとトマトの付け合わせ、ヒレカツ、カボチャとニンジンの冷たいポタージュ、雑穀入りの飯。さすがに、キノコのソースと、ポタージュは、母の家で下拵えをしていた。これまでよく彼と一緒に食事を作った。ヨルダンとか、ソロモン諸島とか、ルワンダとか、地球のあちらこちらで。ソロモン諸島では、カツオを丸一匹市場で買って来て、台所を血だらけにしながら、「たたき」を作っていたっけ。

海外生活の長いGくんは、海外の話題について「前置き」なしに話せる貴重な相手である。ずっと日本にいる人に、自分の興味について説明しようとすると、事前の説明が長くなりすぎて、本題に入る頃には疲れてしまうことがある。その日も、Gくんとは、オムレツを食いながら、「英国政府が亡命希望者のうち不適格者を、ルワンダに強制移住させることへの是非」とか、「ソロモン諸島は、なぜ中国と今仲良くしようとしているのか」とか、「ルワンダにおけるカガメ大統領亡き後の情勢」とか、「映画『ホテル・ルワンダ』のモデルになった元支配人が逮捕されたのはなぜか」とか、普通の人が効いたら「?」と思うような話をしていた。まあ、こんな話をバシバシ出来るのは、この世でGくんだけである。

 午後九時になり、僕はおいとまする。

「次回は、京都やのうて、別の場所で会いたいよな。」

とGくんは言った。彼はまだ海外勤務を諦めていない。次は「カザフスタン」とか「トルクメニスタン」とか「キルギスタン」とか、「タン」の付く国で働いてみたいとのこと。またそんな国で、夕食を一緒に作って食べるのが楽しみ。実現するといいな。

 前日、同じく高校の同級生、Mさんと、僕は、洛北の「平八茶屋」でランチを食べた。若狭街道沿いに四百年前からある老舗。上品な薄味の料理、涼やかな風の通るお庭、座敷から見下ろせる高野川の流れには、サギが遊んでいた。そこも、「目でも食べさせる」料理店だった。

 

超豪華メンバーによる落語界の案内をMさんにもらった。行きたいけど、九月であった。

 

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