修学院離宮

 

この門を潜って別世界へと入って行く

 

「人々の持つ『桃源郷』のイメージを具現化させたら、こんな風景になるのだろう。」

僕は、上御茶屋に立ち、下に広がる景色を見ながらそう思った。後水尾上皇により、作られたこの庭園は、完成までに五年かかったという。その間、上皇は、自分の持つ「天国」、「理想郷」のイメージをここに実現させていったのだろう。一見すると「自然」に見える。しかし、その次の瞬間、この場所が、一本の樹木にしても、一個の石にしても、

「ある人物の綿密な計算の基に作られている。」

ということをヒシヒシと感じた。

 今回の日本滞在で、「修学院離宮訪問」は「山登り」、「備中高梁訪問」と並んで、メイン・イヴェントのひとつであった。宮内庁の管理する「桂離宮」、「修学院離宮」、「仙洞御所」は、予約抽選制である。英国の「ハリー・ポッター・スタジオ」のように、何か月先までも予約が詰まっており、特に、春、秋の行楽シーズンは、予約が取りにくい。つまり、おいそれとは入れない。京都の神社仏閣はほとんど行ったことのある僕だが、上記の宮内庁管理三物件にだけは行ったことがなかった。

 今回、僕が十月いっぱい日本に居ると知った友人で、英語観光ガイドのMさんが、十月二十五日、午前十時の枠をみつけ、二人分の予約を入れておいてくれた。感謝感謝。

晴天の下で行われた「時代祭」の後、一度天気が崩れたが、二十五日には良い天気が戻っていた。Mさんと僕は鞍馬口駅で会い、そこからタクシーで修学院に向かった。十時十五分前に中へ通され、最初に、歴史と敷地内の概要を説明するビデオを見る。グループは全部で三十人ほど、和服着た女性と、結構肌寒い朝なのに、Tシャツとショーツで頑張る外国人のカップルがいる。その他に数人の中国人がいた。

十時に、黒いスーツに短い白髪頭、「宮内庁」という腕章を付けてなければ、葬儀場の駐車場係と見紛う男性が現れる。彼がガイドで、僕たちは彼に率いられて園内を鑑賞することになる。ツアーは一時間半で、三キロ半の山道を歩くという。

「あの和服の女性大丈夫かな?」

と思ってしまう。確かに雰囲気には非常にしっくりくる格好だが、実用的ではない。

修学院離宮は、建物と庭が下御茶屋、中御茶屋、上御茶屋の三層になり、それぞれが異なった標高に作られていることは調べてきていた。まずは、その最下層の下御茶屋に向かう。ガイド氏、「宮内庁職員」ということで、厳かな話し方をされるのかと思っていたら、もろ関西弁で、随所に笑いを取っておられる、自分でも「吉本新喜劇」的な人間だとおっしゃっている。英語のオーディオガイドを聴いている外国人のご夫婦は、皆の笑いにはもちろん付いていけない。冗談まで訳してないからね。心配して聞く。

「おーディガイドの説明、分かりますか。」

「短すぎて・・・さっきのビデオの説明以上のことが何もないんです。」

それはちょっと可哀そう。

 

下御茶屋を出て、「上」と「中」を望む。そのスケールの大きさに、圧倒されてしまう。

 

<次へ> <戻る>