プロローグ
インチョン空港。綺麗なお姉さんが綺麗な音楽を演奏。立ち止まらざるを得ない。
僕は、エンジニアのSさんと一緒に、フランス、ダンケルクの海岸で、夕日を見ながらビールを飲んでいた。
この旅行記は、日本を訪れたときのものである。よく考えると、僕の旅行記は、いつも全く別の場所から始まるような気がする。この手法、既に使い過ぎという感じもするが、懲りもせず、今回もまたやってしまった。
ともかく九月中旬のある日、僕はフランスのダンケルクの海岸にいた。十日後に会社を辞めることになっていた。最後の出張、最後の仕事で、Sさんと一泊で、ダンケルクにある顧客の工場を訪れていたのだ。一日目、仕事が思ったより早く終わり、僕たちは四時半ごろには客先を出た。ホテルにチェックインした後も、まだまだ太陽は高い。Sさんと僕は、「ダンケルク撤退作戦」で有名な海岸へ出かけた。
映画にもなったが、ダンケルクは、第二次世界大戦の初期、ドイツ軍によって、海岸に追い詰められたフランス、英国の兵士を撤退させる作戦が行われた場所だ。ウィンストン・チャーチルが、民間の船を動員し、十万人以上の兵士を対岸の英国まで撤退させたのである。ということは、ダンケルクの海岸は、十万人の兵士が野営できる場所だったのだ。今でも、プロムナードから波打ち際までは百メートル以上ある。その海岸が延々と何キロも続いている。
「なるほど、これほど広い場所なら十万人が集まれる。」
僕は納得した。
九月も半ばを過ぎた日の夕方だったが、その日は例外的に暖かく、海岸のプロムナードには結構沢山の人が歩いていた。Sさんと僕は、外のカフェに座り、ビールを注文した。僕は、もうすぐ仕事が終わるという解放感に浸っていた。
「乾杯!」(新しい生活と、自分の未来に!)
白い砂浜と、ドーバー海峡に沈む夕日を見ながら飲むビールは最高。
九月二十八日、金曜日が、会社で働く最終日で、僕は翌週の水曜日、アシアナ航空機で、ロンドン・ヒースロー空港を発ち、ソウル・インチョン空港経由で、関西空港へと向かった。夕方、妻が空港まで送ってくれる。
「エ〜ン、ビビンバがない!楽しみにしていたのに〜。」
アシアナ航空の夕食は何時もビビンバなのに、一番後ろの席にいた僕の所に、夕食のサービスが来る頃には、ビビンバが売り切れていた。仕方がないので、別のものを食べる。しかし、チューブに入った唐辛子味噌、「コチジャン」はちゃんと付いてきた。それを全部入れると結構辛い。でも、斜め前の韓国人のおばさんは、もう一本「お代わり」をしていた。
機中の大半を眠って過ごし、翌日午後三時、インチョン空港に降りる。そこで四時間の待ち時間。民族衣装を着た若い女性が、笛や琴で音楽を奏でている。疲れた身体に穏やかな音楽が染み渡る感じ。その後は、キムチラーメンを食べて、関空行の飛行機の出発を待つ。
インチョン空港では、アトラクションで、民族衣装を着た人たちの行列が練り歩く。