若い友達
京都・亀岡間のトンネルの合間から保津峡が見える、ここで保津川下りが行われる、
人間には色々な夢があり、一見簡単なようでも、果たせないで死んでいく夢も沢山あるのだ。伯母は頭脳明晰だが、足が悪く、杖か、補助器具がないと歩けない。今回伯母と話した内容で、この「見果てぬ夢」の話が一番印象に残っている。できることなら、叔母を担いででも、伯母を山の上まで連れて行ってあげたい気がするが、それも無理だろう。
しかし、先ほどから書いているように、九十四歳の叔母の頭脳がクリアなことには驚くばかり。いつか藤本義一さんが、
「文章を書く人はボケない。ボケたくなかったら文章を書け。」
と言っておられた。伯母を見ているとその通りだと思う。継母も俳句をやっている。全然ボケていない。書くことも大切だが、書く材料を探す、そのために好奇心と言うアンネナを張り、常に新しい事物を見つけようとする。これが長生きの秘訣のような気がする。
「また今度な。生きているかどうか分からんけど。」
午後三時に伯母の家を辞す。門のところで伯母が手を振るが、まだ会うことはできると思う。帰りも「お嫁さん」が亀岡駅まで送ってくれた。
今回の日本滞在で話した人たちのうち、最高齢者は九十四歳の伯母だが、最年少者は十二歳の娘さん、クーちゃんである。金沢の甥が昨年結婚したのだが、お相手の女性が再婚で十一歳の娘さんがいた。といことで、二十代半ばの甥は、突然、十一歳の娘さんのお父さんになってしまったのだ。
僕の娘、息子、妻は昨年金沢を訪れているのでクーちゃんに会っている。今回、その「噂のクーちゃん」と初めて会うことになった。彼女は夕方、宿題を終えてから父親と一緒に義父母の家にやってきた。僕たちは「回転寿司」を食べに行くことになった・
彼女と初めて会うの、正直言って少し緊張していた。十二歳の女の子とちゃんと話せるかなって。まず彼女とは年齢が大きく違う。また日本と英国で生活環境が大きく違う。おまけに性別も違う。共通の話題があるのかな。でも、意外に上手くいった。子供だとか思わないで、対等の立場で話そうとしたことがよかったみたい。
義母、甥(彼女お父さん)と四人で食事をしたのだが、恥ずかしがらないで、自分の思ったことをはっきり話してくれる娘で安心した。昨年からピアノを習っていて、歌も好きだという。これが共通の話題になった。食事から帰った後、義父母の家でピアノを弾いて遊ぶ。僕と彼女が代わりばんこに弾いた。昨年から習っているとは思えないくらい上手い。一緒に弾くのはとても楽しかった。彼女のピアノがもう少し上達したら、来年は一緒に連弾とかやってみたい。彼女には、英国への帰り道、フィンランドのヘルシンキから絵葉書を書いた。若い友達ができてよかったと思う。
「そうだ、明日は『ひこにゃん』に会いに行こう。」
金沢から京都に戻ってから、天気の良い日が続いている。暑くもなく、寒くもなく、爽やかな風が吹き渡っている。詩仙堂へ行って、亀岡へ行って、まだ日本滞在は二日ある。明日は天気らしいが、明後日はもう梅雨入りだという。
ピアノを通じて仲良くなった四十八年、年齢の差がある二人。