Impossible Dream(見果てぬ夢)
一条寺下り松、ここで宮本武蔵は吉岡一門数十人を相手にしたという。
伯母を訪ねて亀岡に行った。伯母は九十四歳。若いころからエッセーやコラムを書く人。四年前に会った時、自家出版された随筆集をもらった。僕もそうなので、文章を書く人には親近感がある。今回、久しぶりにお会いすることにした。僕は昔からその伯母を「田舎の伯母ちゃん」と読んでいた。京都から一山超えた亀岡にお住まい。亀岡は今では京都のベッドタウン。しかし、初めて訪れた五十年前は確かに小川が流れ、メダカが群れる「田舎」だった。
二条駅から山陰線に乗る。亀岡まで十五分ほど。昔は保津川沿いの曲がりくねった線で三十分以上かかったが、電化と同時に新線が作られ、嵯峨嵐山を過ぎてからほとんどトンネル。トンネルの合間に保津峡と昔の線路が見える。昔の線路には今トロッコ列車が走っている。
トンネルを抜け亀岡盆地に入る。昨夜の雨で空気が澄んでおり、山が近くに見える。田植えの終わったばかりの田んぼと山の緑が美しい。亀岡駅には伯母さんが言う「お嫁さん」、つまり息子さん(僕の従兄弟)の奥さんが迎えに来てくれていた。彼女の運転で、亀岡の市街を抜けて、大阪府との県境に向かう。山がどんどん近づいてきた場所に、叔母と息子さん夫婦の住む家がある。伯母が門で迎えてくれた。
「イギリスも総選挙で大変やな。」
と開口一番伯母は言った。いきなり英国の政治情勢が出るとは思わなかった。メイ首相が任期途中に突然言いだした総選挙の投票は、四日後に迫っていた。
息子さんと一緒に昼食をいただいた後、離れ、叔母の隠居所に行って、叔母とふたりで話をする。伯母は地元ではインテリである。戦後間もなく伯母が嫁いできたとき、東京の女学校出の嫁が来たと、地元で話題になったそうだ。昔は小学校を出た後、上の学校に行く女性は非常に少なかったのだ。伯母は東京で好きな人が出来た。亀岡出身の早稲田の学生さんだったという。その人と婚約したが、その人は戦死してしまった。それで、その人の弟と結婚することになったという。
「疎開のとき、世話になってたし、断り切れへんかったんよね。」
と伯母は言う。その辺りの事情、僕はかなり詳しく知っていた。十年ほど前に、伯母出した随筆集の中に紹介されていたからだ。前回、つまり四年前に来たとき、
「これ最後の一冊、あんたにあげるわ。」
と随筆集の最後に残った一冊をもらった。しかし、伯母の数奇な人生を聞くにつけ、人間の一生というものは、ほんの僅かなきっかけで折れ曲がる糸で織り成されていると感じる。それを偶然と呼ぶのか、必然と呼ぶのかは人によって異なると思うが。
伯母の見果てぬ夢というのを聞いた、
「モトちゃん、あんたの後ろに山が見えるやろ。」
振り向くと、高さに三百メートルのお椀を伏せたように山がある。
「あの山に登って、上から自分の家を見るのが夢やったんや。若い頃は忙しくてできひんかったし、今はもう足がこれやから。」
トンネルを抜け、亀岡盆地に入る。ちょうど田植えが終わったばかり。雨の後で山が近く見える。