セントウ争い
三十六詩仙の額がかかる「詩仙の間」。(詩仙堂ホームページより)
詩仙堂の名前の元となった、「三十六詩仙」とは、丈山が選んだ、古今の中国の詩人「ベスト三十六」である。ベストテンでないが、中国の二千年以上の歴史の中から選ばれた三十六人であるから、かなりの精鋭なのだろう。それを発表しよう。どうってことはない、ただ書いてみたかっただけ。知っている名前もあるし、初めてお目にかかる名前もある。しかし、ワープロでこれら漢字を捜すのに一苦労した。
陳与義、黄庭堅、欧陽修、梅堯臣、林通、寒山、杜牧、李賀、劉禹錫、
韓愈、韋応物、儲光義、高適、王維、李白、杜審言、謝霊運、蘇武、
陶潜、鮑昭、陳子昴、杜甫、孟浩然、岑参、王昌齢、劉長卿、柳宗元、
白居易、盧同、李商隠、霊徹、邵雍、蘇舜欽、蘇軾、陳師道、曽幾、
三十六枚の額には、金色をバックに詩人たちの像と、詩がひとつ乗っている。当時、どのようにその詩人たちの面影を想像したのか、興味があるところ。
さて話は変わってお風呂の話。僕はお風呂が好き。温泉と銭湯に行くのが、日本へ帰ったときの一番の楽しみだ。もし、外国に住んでいなければ、こんな風呂好きにはなっていなかったと思う。風呂の文化は本当に日本独特。京都では、母の家から鞍馬口通りを挟んで、斜め向かいにある船岡温泉にほぼ毎日行く。京都の母の家にはもちろん風呂はあるが、僕は一度も入ったことがない。船岡温泉は午後三時から開くが、三時前には暇そうなお爺さんの列ができている。やはり一番風呂は気持ちが良いでしょう。これが本当の「セントウ争い」。
「今度金沢へ来たら、どこか行きたいところある?」
と出発の一週間前に義母が僕に聞いてきた。
「別にないけど・・・じゃあ、スーパー銭湯に連れてって。」
と頼んでおいた。とにかく、お風呂に浸かっていれば幸せな僕なのである。
お風呂の中でやるアクティビティーで一番好きなのが、背中の流し合い。もちろん、ひとりではできない。金沢へ着いた翌日の夕方、義父母と一緒にスーパー銭湯「満天の湯」へ行った。ここも内と外に色々な浴槽があり、順番に入ると一時間はたっぷり楽しめる。そこで義父と背中の流し合いを。僕がまだ小学生の頃、銭湯で時々祖父と一緒になった。祖父はよく僕の背中を流してくれた。祖父の流儀は、まず堅く絞ったタオルで垢をするようにゴシゴシと擦る。祖父は材木を担ぐことが多かったので、力が強く、祖父に擦ってもらうと快感、
「痛いけど気持ちが良い、気持ちが良いけど痛い。」
そんな世界。その後、祖父は背中に石鹸をつけて、湯を流しながら手で洗ってくれた。それ以来、僕は祖父式の洗い方を実践している。「満天の湯」でも、義父の背中をそうして洗った。身体を洗い終わった後、僕は、
「お父さん、はい、シャンプーとリンス。」
と目の前にあったボトルを渡そうとした。義父は目を白黒させている。もちろんこれは冗談。義父の頭には毛が一本もない。
金沢のスーパー銭湯「満天の湯」の露天風呂。雪の降るに日の入ってみたい。(同湯のホームページより)