船岡温泉縁起

 

船岡温泉の天井にある牛若丸と天狗の浮彫。(同温泉のホームページより)

 

さて、話題は京都の銭湯、船岡温泉に戻る。僕が京都でいつも滞在する母の家が、船岡温泉の斜め向かいにある。

「僕って何てラッキーなんだろう。」

といつも思う。この銭湯、京都の「観光名所」なのである。どれくらい有名かというと、「ロンリー・プラネット」に載っている。「ロンリー・プラネット」というのは、日本の「地球の歩き方」によく似た、本来はバックパッカー向けの旅行ガイドで、多くの旅人のバイブルなのである。私の末娘も、外国に旅行にいくときには、その国の「ロンリー・プラネット」を携え、それでレストランやホテルを探している。その本の日本版に、船岡温泉は「京都で一番のパブリック・バス」として紹介されている。というか、京都で紹介されている銭湯はここだけなのである。そうなると、外人さんは行ってみたくなるよね。それで、非常に外国人の客が多いというのもこの銭湯の特徴だ。

「英語を話したい人は船岡温泉に行こう!」

「京都で一番」と言うだけあって、見どころも一杯。脱衣場に掛かる八十年以上前の時計。天井の牛若丸と天狗のレリーフ。日清戦争の際の「肉団三勇士」を描いた欄間。脱衣場と風呂をつなぐ菊水橋という石の橋。その下の池を泳ぐ錦鯉。また、浴槽の種類も豊富で、薬湯、泡風呂、打たせ湯、檜風呂、サウナ、水風呂、露天風呂、電気風呂・・・順番に入れば一時間は楽しめる。

「ロンリー・プラネット」には、

「欄間のモチーフは、作成された当時の日本の満州侵略の様子が描かれている。その内容は残虐な内容も含むので、訪問される方はご注意されたい。」

という丁寧な警告まで添えられている。そんな詳しい所まで誰も見てないって。

僕の趣味は(悪趣味だが)、外人さんに、

「全部入ってみなよ。」

と勧めて、電気風呂に入れて、目を白黒させるか、驚いて飛び出すのを見て楽しむこと。

「これで、電気椅子で死刑になる者の気持ちが分かった。」

などと大げさなコメントをする人もいた。

この銭湯、大正十二年、一九二三年に立てられた料理旅館が元になっており、昭和八年、一九三三年に今のような公衆浴場になったという。現在のご主人は五代目で、大野松之助さん。夕方から夜にかけて番台に座っておられる。左右のパターンが大きく違い、女湯と男湯が毎日入れ替わるので、両方楽しめるので面白いが、間違って入らないようにしないとね。

僕の子供の頃は、西陣の各町内に一軒ずつ銭湯があった。僕の家から半径五百メートル以内に、船岡温泉、藤ノ森湯、朝日湯、栄湯、明治湯と五軒の風呂屋あった。そもそも風呂のある家庭が少なかったので、皆汗を流しに銭湯に行くしかなかったのだ。今は船岡温泉を除いて全部廃業。そう言った意味でもラッキーだと思う。

 

もう一軒の銭湯、藤ノ森湯は内部をそのまま残し喫茶店に。週末には表に行列ができるくらい人気がある。

 

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