法事

叔父の三回忌に集まった親戚の皆さん。

 

 三十年近く海外に住んでいる僕は、その間「法事」というものと縁がなかった。今回僕の滞在中、チズコ叔母のご主人の三回忌が行われることになり、僕もそれに呼ばれた。僕がロンドンに戻る前々日の土曜日、朝九時半から法事で、その後食事に出かけるということだった。親戚も集まるという。僕にとっては、何十年とご無沙汰をしている親戚の皆さんに挨拶する良い機会だと思い、オーケーをした。生母の家に礼服一式を預けているので、着て行くものもあるし。

前日から亀岡の伯母が出てきて、生母の家に泊まるという。前日の午後、亀岡の伯母は二条駅でチズコ叔母の車にピックアップされて到着。ちょうど生母が留守だったので、僕がしばらく伯母のお相手をする。電話では一、二度話したが、会って話すのは三十年ぶり、いや四十年ぶりかも知れない。腰が痛く、歩くのに手押し車を使っておられるが、お元気そうだ。小学生のころ、伯母の家を訪れたことがある。随分山の中のように思ったが、今はトンネルも出来て、開けているそうだ。間もなく生母が戻り、その日は伯母と三人で食事をする。夕食後、生母と伯母は一緒に銭湯へ行った。

翌日、迎えに来たチズコ叔母の車で、亀岡の伯母と一緒に叔母の家に向かう。生母は都合で法事には出ず、食事の前に合流するという。仙台から出てこられた、亡くなった叔父の甥にあたる方と話す。そのうち、伊丹の伯父伯母、東山の伯父と従姉妹、西ノ宮の従姉妹が到着。「おっさん」(お住職)も到着し、法事が始まった。

読経の間正座しているとシビレが切れる。叔父たちはあぐらをかいているが、まあ、僕は一番若いんだし、行儀良くしておいた方がよいと思い、足を崩さないでおく。読経と焼香が終わった。お住職が何やら訳の分かったような分からんような話をする。いわゆる「法話」というやつらしい。そこで、親戚の中でも最年長、「長老」の伊丹の伯父がかなり鋭い質問をした。

「誰も見た人がいないのに、どうして『あの世』があるて分かりまんねん?」

うわ〜、良い質問、パチパチ。お住職は一瞬たじろいでいる。

「これまで、死にかけて、生き返った人の話を聞くと、皆が同じような景色を見たと言うとります。これは偶然ではおへん。」

お住職も上手く返す。そこで、次に長老の亀岡の伯母がまたまた鋭い質問。

「『地獄極楽』なんてものは、いや宗教そのものは、死んだ人のためにあるのではなく、生きて行く人が正しい行いをするためにあるもんやないですか?」

うわ〜、まさに正論。伯母ちゃん偉い!お住職も大変。

「まあ、そういう考えもおますでしょうが、私はそうは思いまへん。」

しかし、伯父さんも伯母さんも凄い人達。普通、法事でそんな質問坊さんにする?

そのあと洛北のレストラン・結婚式場「しょうざん」へ皆で飯を食いに行った。生母も参加した。紅葉が美しい。久々に色々な人と会えてよかった。これまで生母からは親戚の人達の消息を聞いてきたが、これからはイメージが湧くというものだ。

 

食事の前、燃えるような紅葉の庭園を散策。手前が亀岡の伯母様。