先斗町
京都先斗町、おそらく昔はこんな路地があちこちにあったのだと思う。
京都にいる間、本やDVDを買いに、よく四条まで行った。父の病院から四条までは意外に近い。父の病院は鴨川の畔に立っている。その鴨川の畔の遊歩道を自転車で飛ばせば、十五分ほどで三条大橋に辿り着く。鴨川を横切る橋があるたびにその下を潜るので、信号も交差点もない。安全かつ早いのだ。
京都での交通手段は生母に借りた自転車。前にバスケットがついた、変速機も何にもない「ママチャリ」。僕の場合は「ママ」に借りているので、二重の意味で「ママチャリ」なのだが。
さて、東海道五十三次の終点、三条大橋に着いた後のこと。三条からは人が多いので、自転車が邪魔になる。大抵は、餃子の「眠眠」の前に自転車を停める。そこから四条に出るには四つの方法がある。
鴨川の畔:アベックが多い。「床」の他に特に見るべきものがない。
木屋町通:ピンサロの客引きが多くてうるさかった覚えがある。
河原町通:人が多くて歩きにくい。
先斗町(ぽんとちょう):細いけどなかなか便利。
と言うわけで、僕はいつも先斗町を利用した。先斗町は両側に飲食店の並ぶ、路地と言ってよいほどの通りだ。そして、シャンゼリゼを歩くときに「おおシャンゼリゼ」を唄うように、ここを歩くたびにやはり唄ってしまう歌、それは・・・
「富士の高嶺に降る雪も、
京都先斗町に降る雪も、
雪に変わりがないじゃなし、
とけて流れりゃみな同じ
好きで好きで大好きで、
死ぬほど好きなお方でも、
妻という字にゃ勝てやせぬ
泣いて分かれた河原町」
和田弘とマヒナスターズの「お座敷小唄」しかない。そして、その時、必ず
「スッチャン・チャララララン」
という間奏も必ず唄うことになっている。今回、何度もこの歌を唄って、頭に残っていた僕は、生母の家の台所で茶碗を洗いながらまた唄いだした。すると、生母もやはりこの、
「スッチャン・チャララララン」
の間奏で合いの手を入れてくれた。
三条大橋。知らんおっさんにもピースをしてくれるのはやはり関西の娘ならではこそ。