煙は薄し桜島
鹿児島中央駅にあった桜島のステンドグラス。
バスは鹿児島市内、錦江湾、桜島が一望できる城山の展望台に着いた。今日は桜島の頂上付近に雲がかかっている。鹿児島市内から桜島へ向かうフェリーの白い航跡が濃い色の海に傷を付けたように走っている。隣では、小学生の団体が記念写真を撮っていた。僕は、常々「死ぬまでに桜島だけは見てみたい」と思っていた。僕なりにイメージはあったが、鹿児島市内から眺める桜島が、これほど大きく、威圧感に満ちたものだとは、想像していなかった。
「わが胸の燃ゆる思いにくらぶれば 煙は薄し桜島山」
これは平野国臣の句だ。
城山から島津家の別荘、仙巌園へ向かう。広大な庭を持った屋敷であるが、圧巻は桜島を借景に使っていることだ。庭から、湾を挟んで桜島が正面に見える。庭や建物、全てがその桜島の存在を意識して作られているのが分かる。現在は、庭のすぐ前を国道と日豊本線が通っており、ときどき列車が桜島と庭園の間をすり抜けていく。
しかし、昔の大名は何と金持ちで、何とわがままだったのだろう。これだけの規模の庭園を持った別荘を作ってしまうのだから。一ヶ月ほどまえ、ヴェルサイユ宮殿を訪れたときも、当時のフランス国王が桁外れにリッチだったことに驚いた。その時と同じ気持ちになる。
仙巌園の庭を見ている間に雨が降り出した。生母が傘を借りに行った。帰りの新幹線の出る一時間前になったので、バスで鹿児島中央駅まで戻ることにする。雨はだんだんと本降りになってきた。途中「天文台」という場所を通る。ここは鹿児島の繁華街なのだが、生母は本当に宇宙を観察する天文台があると思っていたらしい。
「違う違う、ショッピングストリートや。天文台はいわば、『鹿児島のシャンゼリゼ』みたいなもんやね。」
と僕は母に言った。一ヶ月ほど前にフランスに行ってから、何でも「おフランス」を引き合いに出す、イヤミ先生みたいになってきた。
鹿児島中央から十二時半発の「さくら」に乗る。また速いが退屈な新幹線の旅だ。時差ボケがやっと治ったが、その反動でとにかく一日中眠い。新幹線の中で僕は眠った。目を覚まして外を見る。トンネルの合間に見える景色は雨に煙っていた。
新大阪で新快速に乗り換え、京都駅から地下鉄とバスを乗り継いで戻る。午後六時前にはもう京都の家に着いていた。
「すごい、鹿児島を出てから、五時間余りでもう家まで帰れるんや。」
生母と僕は退屈だがメチャ速い新幹線の威力に改めて驚いた。
「なかなか楽しい旅行やったね。」
と夕食の席で生母が言った。確かに、天気は良かったし、景色も良かったし、美味しいものも食べられたし、良い旅行だった。
仙巌園の広大な庭の中に立つ屋敷。縁側に立つと正面に桜島が見える。