ご当地ソング

枕崎漁港にて。ここは沿岸、近海漁業の船の集まる波止場。

 

 開聞岳の裾野を抜け、見え隠れする太平洋に沿って列車は走り、午後一時前に終着駅の枕崎に着いた。駅前の食堂で昼食を取ったあと、街に出てみる。ここは漁業の基地である。そして、指宿と同じように、通りを誰も歩いていない。ガランとして雰囲気。漁港へ行ってみる。近海沿岸漁業の小さな船の泊まる港と、遠洋漁業の大きな船の泊まる港に分かれている。遠洋漁業の港の横には、魚を消費地に運ぶための大型トラックが駐車している。

漁港の他にはこれと言って見るものもない場所だ。相撲の立行司、木村庄之助がこの町の出身らしく、その襲名を祝う横断幕が道路に掲げられている。しかし、その下を歩いている人は生母と僕だけ、他には見当たらない。

街を歩いていると、スナックやカラオケの店がやたらと目立つ。

「こんな人通りの少ない場所で開業して儲かるのかな。」

と考えてしまう。しかし、ここは先ほども書いたが漁業の町なのだ。船が着けば、航海を終えた漁師たちを受け入れる店が必要なのだろう。

 枕崎駅に発着する列車は一日五本だけ。時刻表が貼ってあるが、実にシンプルなものだ。終着駅なのに線路が分かれているわけではなく、一本の線路がプツンと終わっているだけである。しかし、例えそこが何もない場所でも、線路がある限り、終点まで行ってみたというのが人情というものではないだろうか。

生母と僕は十五時五十二分に発車する列車を待っていた。枕崎が歌詞に出てくる歌があったような気がするのだが、どうしても思い出せない。思い出したのは、京都に帰ってからだった。森進一の「港町ブルース」の五番。

「呼んでとどかぬ人の名を / こぼれた酒と指で書く 

 海に涙のああ愚痴ばかり / 港、別府、長崎、枕崎

そしてその後、僕は「ご当地ソング地獄」にはまっていくことになる。 

 枕崎から鹿児島中央行きの列車に乗る。二両連結だが、僕らの車両に乗っているのはふたりだけ、つまり、生母と僕だけ。ここまでくると、ちょっと嬉しくなる。再び迫ってくる開聞岳を見ながらの旅。開聞駅に停まると、窓の外で僕らに手を振っている人がいる。往路で出会った英国人の夫婦だった。

「頂上まで登れましたか。」

と英語で聞いてみる。

「ええ、何とか。」

ご主人。

「でも上の方は、岩がゴツゴツで、鎖やロープを登ったり、大変でした。」

と奥さん。

 指宿を過ぎる辺りから暮色が広がり。鹿児島に着くころにはすっかり暗くなっていた。しかし、青空に聳える開聞岳は、心に残る風景だった。

 

車窓から見る開聞岳。日本百名山に数えられる美しい山だ。