ゴマメの歯軋り
母の作ってくれた二ヶ月遅れの正月料理。
一時間ほど銭湯にいて生母の家に戻ると、夕食が出来ていた。年末年始、妻は日本にいたし、僕はずっと仕事をしていたので、おせち料理どころかモチも食べていない。それを知っている母は、二ヶ月遅れのおせち料理を作ってくれた。ゴマメ、黒豆、伊達巻、酢で締めたサワラのからまぶし。そう言えば、前日、台所にはゴマメを炒る煙がモウモウと立ち込めていた。僕はゴマメを一匹皿から取って耳に当てた。母が聞く、
「何してんの。」(さあ何かギャグをやるぞ。)
「ゴマメの歯軋りを聞いてんねん。」
正月料理はどれも懐かしい味だった。伊達巻、からまむしあたりは、ロンドンで次回挑戦してみようと思う。
七時半、生母との食事と会話を中断、走ったら一分三十七秒しかかからない父の家に行く。明朝は早いし、今晩父が寝てしまう前にもう一度会いたかったからだ。別れ際、昔は、
「身体に気をつけて頑張れよ。」
と父に言われたものだが、今では、
「お互い無理しないでいこうや。」
と言うようになった。ふたりとも、もうお互いに、余り「頑張れない」、「頑張っちゃいけない」年齢であることを知っているのだ。足の悪い父がわざわざ玄関先まで出てきてくれた。抱き合って別れる。
「これがひょっとしたら最後になるかも知れない。」
ふたりとも思いは同じだ。
「お父さん、食欲もあるし、あと半年くらいは絶対大丈夫や。また会える。」
継母が横で繰り返している。父の前では涙を見せないようにしていたが、角を曲がると涙が止まらなかった。
寝る前、僕はサクラに電話をした。娘さんは国立大学の医学部に合格。先ず、おめでとうを言う。
「サクラさん、今日は最後の晩やし、特別にグチをふたつ聞いてくれる。」
と僕は言った。
「僕、人と会ったらいつも『グチ』の聞き役になるねん。それはそれでいいねん。でも、日本で他人のグチばっかり聞いてたやろ、正直、ちょっと疲れた。」
「ケベの優しさに皆頼っちゃうんやろね。これから私も気をつけるよ。」
とサクラ。それから、僕は父との別れの辛さを彼女に告げた。彼女も涙声になる。最後に、
「元気でね、無理しないでね。娘さんが出て行かはって寂しくなるけど、あんまり酒飲んだらあかんよ。」
そんなことを言って、五分ほどで電話を切った。電話を切ってしばらく、僕は顔を布団に押しつけ、頭の上から枕を乗せていた。
日本滞在中は本当に雨が多かった。