明日は我が身

 

三月、ロンドンに帰っても、もう雪が降らないことを祈る。

 

日本を発つ朝、何となく緊張していて、五時には目が覚める。まだ暗いし寒い。布団の中にいてコンピューターで遊ぶ。このコンピューターは日本へ置いて帰るつもり。昨日中身を買ったばっかりのUSBメモリーに移しておいた。

 乗り合いタクシーが迎えに来るのは七時五十分、まだ時間はたっぷりある。母が起きてきたので僕も六時に起きる。母もなんとなく寂しそう。外は相変わらず激しい雨が降っている。

 関空までの乗り合いタクシーに乗ると、ティエリーという名の僕と同い歳くらいのフランス人男性と隣同士になった。英語もとても上手。彼は、九十二歳の母親の逝去の知らせを受け、これから葬儀に出席するためにパリに帰るのだという。

「それはご愁傷様です。」

昨夜の父との別れのシーンがまだ頭にあったので、他人事とは思えない何かがある。

「僕も近い将来、あなたと同じ立場で空港に向かうバスに乗っているかも知れません。」

と僕は言った。僕は自分の立場と、今年九十歳になる高齢の父ことなどを彼に説明した。なんとなくふたりの間に親近感ができてしまった。

 彼は次に妻と子供のことを僕に説明した。彼と日本人の奥さんは二十五年間ずっとフランスに住み、昨年三年間だけ日本に住む約束で日本に帰ってきたという。(この辺りも僕たち夫婦と似ている。僕らも、もう二十六年間外国に住んでいる。)ところが奥さんが日本に戻るなり、すっかり日本の良さ、便利さにはまってしまい、もうフランスには戻りたくないと言いだしたという。いずれはフランスに戻りたいと思っている彼にとって、奥さんを説得できなければ別居するしかない。

 彼がその悩みを僕に話したとき、僕は別の意味で自分の妻について心配だと言った。彼女は人生の大半をヨーロッパで暮らしている。定年後突然故郷の街に戻っても、周囲の人間と上手くやっていけるだろうかと。

「かみさんがまたヨーロッパに逃げ帰らないか、心配ですよ。」

と僕は言った。

彼は、針灸の研究家である他、合気道、居合術など、東洋武術の先生でもあった。しかし、フランスで東洋武術を教えることに完全に失望をしているという。

「モトさん、うちの生徒は『道場』を『クラブ』、『先生』を『コーチ』と呼ぶんですよ。耐えられますか、こんな生徒達に。『台所』を『トイレ』と呼ぶような奴らに、私は武術を教える気にならない。」 

「たしかに、『道場』はスピリチュアルな場所で、『先生』は技術だけじゃなくて、生き方も教えてくれますよね。」

「そうでしょう。モトさん。フランスではそんなことも分からない『馬鹿』ばかりが、ちょっと格好が良いといってマーシャルアーツを習いにくるんです。やってられませんよ。」

 

プロ野球の開幕を待たずして日本を離れるのはちょっと残念な気がする。高知、春野球場で阪神、鳥谷選手。

 

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