春は名のみの知床旅情
早春賦と言えば英国ではこの花、水仙。詩人ワーズワースも詠んでいます。
昨日チズコ叔母の家でピアノを弾かせてもらったとき、帰り際に、
「メールが受け取れるけれど送れない。」
と言われた。昼過ぎに、昨日に引き続いて叔母の家へ行き、早速コンピューターのメールソフトを覗いてみる。原因は五分で分かった。
「途中でプロバイダーを変更された際、古いプロバイダーのアドレスを使い続けるということにされたのですが、その古いサーバーに経由ではもうメールが送られないんですよ。」
と説明。叔母がそれを理解したかどうか分からないが、とりあえず
「送信者の横のサーバー名を変えてから送ってくださいね。」
ということで納得していただく。とりあえず簡単に片付いてホッとする。
北大路駅のスーパー「ヴィヴレ」で食料品を買い足し、(スーツケースにまだ入るだろうかと心配しながら)一度父の家に戻り、鞍馬口の生母の家に戻る。天気はまあまあのだが、自転車で走っていると顔に当たる風が冷たい。「春は名のみの風の寒さ」なのだ。
ロサンゼルスのユーコは、「春は名のみの風の寒さよ」と唄いだすと、次に必ず「思い出しておくれ、おれたちのことを」と、「知床旅情」がつながってしまうそうだ。そう言えば、メロディーは酷似している。盗作?作詞作曲は森繁さん。故人なので許してあげよう。
生母の家の四畳半の居間で、僕はパッキングにかかった。金沢の義父母から貰った蚊取り線香、正露丸等、「インド向け物資」、ヨーコ夫妻にもらった「土佐の特産品」、それに京大生協で買った本、ソロバン六本と教習書、水泳のとき足に挟むフロート、漬物、それとわずかな衣類、それらをスーツケースに詰めて行く。三十キロ以下にしなければならない。まず僕が空身でヘルスメーターに乗り、次にスーツケースを持ってヘルスメーターに乗り、その差を求めるのだ。これは帰国前日にいつもやる「儀式」だ。
母の家の秤は古くてデジタルでないやつ、僕が乗ると針が何となく六十キロあたりをブルブル指している。
「次にスーツケース持ってのるで、頼むでえ。」
スーツケースを持つと、秤の上での静止が難しい。また荷物を真下に提げているのでメーターは見えない。母に這いつくばってみてもらう、合計で九十キロ以下ならオーケー。
「八十八、おっと九十三、あれまた動いた、九十二。」
「もうこのへんでええか、多少誤差があっても認めてくれるやろ。超過したらティッシュの箱でも捨てるわ。」
銭湯「船岡温泉」に行くのも、今回は今日が最後。米国はウィスコンシン州から来ている大学院生のお兄ちゃんと話す。僕がウィスコンシン州のミルウォーキーにある「ミラースタジアム」へ「ブリュワーズ」の試合を見に行ったことがあると言うと、彼の顔がほころぶ。ウィスコンシンは日本式に「ウイスコンシン」と発音してもなかなか理解してもらえない。「上杉謙信」と言うと通じるよと、誰かが言ってたっけ。
今回は二回ウニを食べた。しかし、ウニスパゲティーというのは初めて。タラコスパはあったけど。