ヨルダンに寄るだん
アラビアのロレンスを演じる、ピーター・オトゥール。
三月二十九日、土曜日。ふたりとも六時には起きている。お互い歳を取ると早起きなのか、それとも性分なのか。僕は早寝早起きだが、G君は夜も結構遅く、しかも朝が早い。
今日は、死海までドライブをすることになっている。車が迎えに来るのが午前九時。朝食の後、まだゆっくり時間がある。絵葉書を書いたり、本を読んだりして過ごす。
今回ヨルダンに行くことを、数人の友人に話していた。
「ヨルダンからの便りを貰うことなんて、一生ないと思うから、絶対絵葉書を書いてね。」
と頼まれた友人もいた。そんな彼等に、僕は絵葉書を書き始めたわけだ。
僕はメールの中にいつも、
「ヨルダンに寄るだん。」
と書いていた。そうしたら、メル友のユーコは、
「私は台湾に行きたいわん。」
と返事をくれた。
昨日から、「アラビアのロレンスを求めて」という本をG君に借りて読んでいる。ヨルダンが舞台になっている映画といえば、何と言っても、一九六二年に作られた「アラビアのロレンス」であろう。なかなか重厚な作りの、誰もが認める名作だと思う。ピーター・オトゥール扮する「アラビア通」の英国軍将校、T.E.ロレンスが、アラブ人がオスマントルコから独立するのを助け、第一次世界大戦を英国に有利に導くために活躍する物語。当時、オスマントルコはドイツの側についていたのだ。ロレンスはラクダ部隊を率いて砂漠を横断、敵の手にあった港湾都市アカバを陥れ、そこを奪取する。アカバは現在も、ヨルダンで唯一の港で、貿易、軍事、観光のどの意味においても重要な町だ。
ただ、牟田口義郎という人が書いたその本を読んでいると、ロレンスが戦いの中で演じた役割は、映画で描かれるほど重要なものでなく、後で欧米人によって作られた逸話が数多く付け加えられているという。そして、ロレンス像自体も美化されているとのこと。「アラビアのロレンス」の逸話は、西洋人が作った「現代版アラビアンナイト」であると牟田口氏は結論付けている。
九時に迎えの車が来る。運転手はハッサン君という若者。三歳と七ヶ月の子供がいるという。ガイド役としては、彼の英語がちょっと心許ない。途中で黄色い野菜を売っていたが、その「カリフラワー」という単語が、彼の口からなかなか出てこない。ちなみに、ヨルダンにカリフラワーは白ではなく黄色なのだ。
アンマンの街を出て死海へ向かう。アンマンの町は標高約千メートル、死海は海面下四百メートルの場所にある。したがって、アンマンの町を出ると、道は下り一方になる。わずか三十キロの間に、千三百メートル下るのであるから、かなりの勾配だ。毎年四月にある「死海マラソン」では、選手達がこの道をひたすら下るのだという。膝がガクガクになりそうなコースだ。G君もこのマラソンのハーフの部に出場すると言っていた。でも彼は全然トレーニングをしてないぞ。大丈夫かな。
海抜ゼロメートル地点から、足元に広がるヨルダンバレーを望む。