男ばかりの街

 

モスクの前の道路を埋め尽くした人々。全員が男なのだ。

 

人々に取り囲まれて歩いているのだが、何だか変。違和感がある。一分後、僕はその不自然さの理由に気付いた。

「男しかいない!」

普段、日本や英国で街を歩いていると、男女にほぼ半々の割合ですれ違うことを無意識に予期している。しかし、ここアンマンのダウンタウンでは、周りを見回しても男性しかいなのだ。百パーセント「男の街」。

「人口の半分の女の人は、今どこで何をしているんやろ。」

そう思ってしまう。

 五分ほど歩くと、大きな回教寺院、モスクが見えた。地図で確認すると、「アル・フセイン・モスク」とのこと。そのモスクの前庭にもどんどんと人が集まっている。それどころか、その前の道路にも、人が座り込んでいる。そして、その全てが男性。彼等は、バスタオルほどの小さな絨毯の上や、潰した段ボール箱の上に座っている。そして道路脇には数百人の警官が立っている。

 十二時過ぎ、モスクのスピーカーから大音量でコーランが流れ出した。モスクの前を埋め尽くす人々は水を打ったように静まり、立ち上がる。そして、何千人という人々が一糸乱れぬ動きで礼拝を始めた。壮観。北朝鮮などの一党独裁国家における記念式典の、集団演技を思い出す。警備の警官のうちかなりの人数が、一緒に祈っている。

 十分ほどで礼拝は終り、三々五々人々が家路に就く。その中で、数十人の人々が、シュプレヒコールを叫び始めた。もちろんアラビア語なので、何を言っているのか分からない。警官がそれを取り巻いている。警官の数が多い理由がそこで分かった。エジプトでは、「ムバラク降ろし」の動きが活発化した際、政府が集会やデモを禁止した。しかし、金曜日の礼拝に集まった人々が、その後デモに流れ出した。今日ここに集まった警官の役目は、そのようなことが起こらないように、礼拝の後、人々を速やかに解散させることだったのだ。

 人々が去った後の道路を見て、僕は思わず言った。

「ちゃんと後片付けせえや。」

そこには、礼拝に使った、潰したダンボール箱が散乱。

「神様の前なんよ、せめてゴミを捨てるのは止めたらどうなの。バチが当たるよ。」

 アル・フセイン・モスクから、メインストリートを「ローマ劇場」に向かって歩く。途中、古着市の横を通る。古い衣類を、机の上や地面に山のように積んで売っている。別に整理してあるようにも見えない。その衣類の山を大勢の人が物色している。靴なんかも売っている。左右の靴が紐でくくってあるようにも見えない。左右バラバラ。右左一対を探し出すのは至難の業だろう。

「あれじゃ、トランプの『神経衰弱』をやっているようなもんやわ。」

と僕は呟く。とにかく、初めてのヨルダンの街、見る物見る物全てが新しい。

 

コーランが流れる中、一糸乱れぬ礼拝が始まる。

 

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