都会のアリス

 

「都会のアリス」の一場面。

 

ヨハンがモノレールの窓から見える景色の「観光案内」をやってくれる。オペラ座、化学会社バイエルの工場、マルクスと並ぶ共産主義の創始者フリードリヒ・エンゲルスの生家、動物園、サッカー場。二両連結のモノレールはその前を次々と通り過ぎていく。

このモノレール、片側にしか運転席がない。と言うことは、終着駅で回転しなければならない。終端駅のフォーヴィンケル駅とオーバーバルメン駅では、線路がマッチ棒の先のように膨らんでいて、その弧を通って車両の向きが変わる。さすがに百十年前の開業以来、施設はだんだんと古くなってきたようで、近年、線路を支える支柱は全て交換され、駅舎なども順次近代的なもの建て替えられているという。

実は、僕はこのモノレールの存在を、ドイツに住むずっと前から知っていた。大学の独文科の教材で、「都会のアリス」という一九七三年製作のドイツ映画を見ていたからだ。結構有名な映画で、日本でも上映されたと思う。

母親とはぐれたドイツ人の少女アリスを、ひとりの青年が少女の記憶だけを頼りに故郷まで送り届けるという話。白黒の映画だった。その映画の中にヴッペルタールが出てきた。モノレールが音を立てて通り過ぎていくシーンを今でも覚えている。

終点のフォーヴィンケル駅の直前で、モノレールはヨハンの会社、昔僕も数ヶ月働いていてS社の前を通った。当時、僕はモノレールの音を聞きながら仕事をしていたことになるが、今となっては記憶にない。当時は車を借りていたので、モノレールに乗る必要もなかった。また、厳しい冬の最中だったので、窓を閉め切って仕事をしていたからかも知れない。そして、何より自分の仕事以外のことに関心を持つには、当時は忙し過ぎた。

一時間ほどで全線を走破し、またオーバーバルメン駅に戻る。ヨハンとは、昔の同僚の消息や、お互いの仕事のこと、最近のコンピューター技術のことなどを話していた。 彼も僕と同業で、コンピューターの技術者なのだ。僕は、彼がこの町で生れ育ったのかと思っていたが、彼の生まれたのはポーランドで、子供の頃、両親と一緒にヴッペルタールに移住してきたということだった。

一度ヨハンの家に戻って、皆でレストランへ行く。中央駅の近くの、アラブ料理店、「キャラバン」というレストラン。ユリアの御推薦、御用達の店。ヨハンもイレーネも初めてだという。前菜に、アラブ風前菜二十種類セットというのを頼む。ままごとのような小さな皿に、色々な料理やソースが出てきて、それを、薄く焼いたパンに乗せて食べる。ひとつひとつ量は少ないが、全種類食べるとかなり腹が膨れる。メイン料理はラムを頼んだ。食べ終わるとお腹一杯。

時計を見ると、七時四十五分を過ぎている。八時発のアーヘン行きの急行に乗って帰ることになっていたので、僕だけ先にレストランを出ることにする。女性三人とハグとキスをして、ヨハンとは握手をして別れる。

「次回は、十年後じゃなくって、もっと早く会おうね。」

とイレーネが言った。

 

ずらりと並べられたアラブ風の前菜。