ストリートミュージシャン
京都ではボチボチと桜が咲きかけていた。
関空行きの飛行機が定刻より遅れてインチョン空港を飛び立ったのは午後八時だった。ロンドンからの便は午後四時に到着したから、四時間近く空港で過ごしたことになる。夕食の後は、ピアノを弾いていた。空港の二階のロビーにグランドピアノがあり、「演奏したい方は受付まで」と書いてあった。それで、受付へ行き、お姉さんにピアノのカギを開けてもらう。
あいにく楽譜は全てチェックイン荷物の中に入れてしまったので、暗譜で弾ける曲だけ。ショパンの「マズルカ」、ドヴォルジャークの「ユーモレスク」、リチャード・クレイダーマンの「渚のアデリーヌ」なんかを弾く。立ち止まっていく人は少ないが、気が付くと、千ウォンの硬貨がふたつおいてあった。
「いえ〜い、ストリートミュージシャンで金を稼いだぞ。」
その金でまたビールを飲もうとしたが、ビールは八千ウォンもして、結局、ビール代はクレジットカードで払った。次回こそ、せめてビールが飲めるくらいは稼ぎたい。
今回の日本への帰国は、三月二十四日行われる父の一周忌法要に参列するためである。父は昨年の三月二十三日に亡くなった。去年の今頃、父の死の知らせを姉から受けて、慌ててロンドンから帰国したっけ。
「あれからもう一年が経ったんだ。」
法事に参加する他、僕の生まれ育った家を最後に見るという目的もあった。父の死後、継母は実家に戻り、父の家は売りに出された。古い家だが、幸い直ぐに買い手が見つかり、契約もまとまり、三月二十五日に引き渡しが行われることになっていた。継母は僕が家を最後に一目見られるように、引き渡しの日をその日に決めたという。有難いことだ。父の家が売られても、近くに生母の家があるので、泊まる場所には困らない。今回も二週間、生母の家にやっかいになることになっている。
九時半に関空に着き、十時過ぎに乗合タクシー、「MKスカイゲートシャトル」に乗り込む。京都の鞍馬口の生母の家に着いたのは零時を二十分過ぎた頃。二階に上がり、母が敷いておいてくれた布団に横になる。生母の家は今年改築され、これまで僕が寝ていた一階の奥の間は母の寝室になっていた。足腰が弱って階段を上がれなくなったときのための対策だそうだ。今回から、二階のこれまでの母の寝室が、僕の寝る部屋になる。
その日は電灯を消す暇もなく眠ってしまう。翌朝七時過ぎに階下にいくと、母が朝食を作っていた。そこで初めて母と話をする。父の法事は明日。今日の夕方には、福岡から姉夫婦も到着し、母の家に泊まっていくという。賑やかな夕食になりそうだ。
朝食の後、医者と買い物に行くために、母に自転車を借りる。僕は京都にいるとき、いつも「ママチャリ」で行動するのだ。(母は別に電動自転車を持っている。)さあ出発と、漕ぎ出そうとすると、「スコン」という音がして、チェーンが外れた。カバーがついているので自分で直せない。しゃあない、今日はバスにするか。僕はバス停へと向かった。
京都の街、最近やたらと空地とコインパーキングが増えている。