生家との別れ

 

生家の前で姉と。帰りに父の名前の書いた表札を外す。

 

今回の帰国の目的はオフィシャルには父の一周忌だが、個人的にはもうひとつ目的があった。それはパソコンを買うこと。現在英国で使っているパソコンは八年前に買ったもの。さすがに使いにくくなってきていた。日本は消費税が安いし、初から日本語のオペレーションシステムが入っているので、パソコンは日本で買うことにしていた。

京都に着いた翌朝、いつもやることは、友人の開業医D君のところへ行って、睡眠薬を貰うこと。彼の開業する岡崎まで、いつもは自転車で行くのであるが、前述の通り、自転車が壊れていたので、建勲神社前からバスで岡崎へ向かう。

D君に書いてもらった処方箋で睡眠薬をもった後、岡崎からバスで四条へ。室町通の電気屋で東芝のノートブック・パソコンとニコンのデジカメを買う。パソコンはOSに「ウィンドウズ・エイト」が入っている。今までのウィンドウズとかなり違う。さすがに解説書なしでは使い方が分からないので、本屋で解説書を買う。昼過ぎに母の家に戻り、買ったばかりのパソコンを使ってみる。使い方が分からず、何度かヘルプラインに電話をする。

午後、鴨川の堤防に程近い継母の家に顔を出すと、姉が来ていた。姉は朝福岡を出て、昼過ぎに京都に着いたという。継母と姉は、父の家から、家を売る前に持ち出した書類を見ていた。面白かったのは、大正時代、昭和初期の、学校の集合写真である。大正時代の小学生はまだ着物姿で移っている。しかし、昭和に入ると、皆洋服を着ていた。

五時過ぎに生母の家に帰ると、義兄のミツノリがいた。福岡から着いたばかり。

「一緒に銭湯に行かない?」

と誘うが、風邪気味なのでよしておくという。それで、独りで銭湯にいく。日本は思っていたよりも寒い。銭湯の露天風呂でフウっと溜息をつく。温かい湯と、額に当たる冷たい空気が心地よい。いつも銭湯で湯に浸かったとき、本当に、日本に帰ってきたんだという感慨が湧く。その夜は、四人で鉄板焼きの夕食。風呂上りのビールが美味い。風邪気味の義兄は早々に床に就いた。

 日曜日、五時半に起きる。三時半ごろに睡眠薬を飲みなおしたので、気分が悪く、散歩をする気にもなれない。姉、義兄、と三人で朝食を取る。

朝食の後、明日引き渡すことになっている父の家を見に行く。僕が十八歳のときまで住んだ家。三人で中に入る。家具や全ての物がもうない。

「うちの家、こんなに広かったっけ。」

と姉と異口同音に言う。家具の運び出された家は、これまで思っていたより広く感じた。特に僕の部屋だった二階の三畳間は思い出が深い。それこそ「青春のカケラが染みついた」部屋である。

 この家を買ったのは、個人ではなく、不動産屋である。その業者は、この家を昔風の「京の町屋」にリフォームして売るという。表はきっと「紅殻格子」にするんだろうな。新しく見せて売るのではなく、古く見せて売るというのが面白い。

 

百年前の家だが、恐ろしく太い梁が使われている。