ストレス管理
京都へ帰って、銭湯「船岡温泉」に行くのを夢見ながら治療に専念する。
入院二日目、土曜日の午後、ワタルとマユミが見舞いに来て、郵便を届けてくれた。その中に亀岡の伯母からの手紙があった。
「三月末に日本に戻られるとき、お母さんと一緒に畑野に来られませんか。」
と書いてあった。「畑野」というのは伯母の住む集落の名前。そう言えば、二週間余りで、日本へ戻ることになっている。その時、亀岡の伯母を訪れる約束をしていた。しかし、それを目前に、自分は入院中。
「後二週間で元気になって、絶対日本に帰るぞ。」
と自分で言い聞かせる。そのためには、とにかく、心身を休めないといけない。と言っても、身体に心電図のケーブルが巻き付いたままなので、寝ているしかないのだが。
しかし、土曜日と日曜日の二日間、「強制的」に休養を取った、いや取らされたおかげで、胸の痛みも和らいだし、心の中もかなりすっきりし、肯定的なことが考えられるようになってきた。土曜日の夜と、日曜日の夜はよく眠れた。日曜日、昼間にはまたワタルが、夜には真ん中の娘のミドリが見舞いに来てくれた。ワタルにシャワー室でシャンプーをするのを手伝ってもらう。何せ、胸にくっついている心電図の電極と何本ものケーブルを濡らさないように頭を洗うのは至難の業。誰からの手助けが必要なのだ。
月曜日の昼、循環器科で一番「偉い」ドクター・パテルの訪問を受ける。
「ミスター・カワイ、四日間モニターをしたが、心電図に異常はないし、心臓発作の時に出る酵素も血液中に発見されていない。あなたは狭心症ではない。おそらく、胸の痛みは極度のストレスにより、一時的に心臓の血管が収縮して起こったものだと思う。もう、痛みがないのなら、退院してよろしい。」
と言われた。その後、医師は付け加えた。
「ただ、ストレス管理にだけは気を付けないといけないよ。さもないと、次は本当の狭心症でここへ運び込まれることになるからね。」
午後三時頃に、点滴の管を外し、心電図のケーブルと取り、着替えて病棟を出る。病院からタクシーで家に帰る。ひどく疲れていて、ミドリの部屋のベッドに横になる。
「四日間ずっと寝ていただけなのに、どうしてこんなに疲れているんだろう。」
夜、薬を取りに、車で病院へ戻る。ナースステーションで薬を貰った後、僕の寝ていた病棟へ「見舞い」に行く。僕の寝ていたベッドには次の患者がいた。昼間は患者として、夜は見舞客として同じ場所にいるなんて、変な気分。
入院騒ぎには「おまけ」があった。病院で、ノロウィルスを貰ってきたのだった。病院ではノロウィルスが流行っていた。僕の向かいの爺さんが突然ゲロゲロやりはじめ、彼は隔離され、消毒班が来たことがあった。その夜から二日間、僕は激しい嘔吐と下痢に苦しんだ。
「二回の入院にノロウィルスのお土産まで。今年は全然ついてないや。でもこれだけ悪いことが重なったんだから、これで打ち止め。今年はこれからきっと良いことしかないよな。」
僕は自分にそう言い聞かせた。果たしてそうなるのだろうか。
僕の生まれ育った家は、細い通りに面した棟割長屋。