津和野へ
憧れの500系に初めて乗れた。嬉しい!
「ダメだ、思い出せない。」
旅をする前、訪れる場所に対してイメージを抱いている。そして、その事前のイメージは、訪れた際の実像に塗り替えられる。「塗り替えられる」と言ったが、実像に基づくイメージが確立された後、事前のイメージを思い出すのはとても難しい。その日訪れた津和野に対しても、僕はそれなりのイメージを持っていた。それが、どんなイメージだったのか、今、思い出そうとしているが、それがどうしてもできない。
月曜日の朝、僕はホテルをチェックアウトして、博多駅に向かう。前夜は、姉とその旦那と夕食。姉はこの週末仕事で福岡にいないはずだったが、仕事が早く終わって、戻って来られたという。
博多駅から新幹線「こだま」に乗って新山口に向かい、そこで特急「スーパーおき」に乗り換えて、津和野には十時頃着く予定だった。
「やったあ〜」
ホームに停まっている、これから乗る「こだま」を見て、ひとりで盛り上がる。かつて、「のぞみ」として、東京と博多の間を最速で走った花形、五百系の列車(のなれの果て)だったからだ。今は、最前線から引退して、わずかの編成が山陽新幹線を走っているに過ぎない。言わば「走る記念碑」、「走る骨董品」。円形の断面を持った車体、鳥のくちばしのようにとんがった先頭車。僕は一度乗って見たかったが、これまで機会がなかった。もうすぐ引退するだろうし、その日乗れたのはラッキー、とてもいい思い出になった。
新幹線で新山口まで行く。「新山口」は昔「小郡」と言う名前だった。そこから、特急「スーパーおき」に乗る。「スーパー」の名を冠した特急。どんな列車か期待してしまうが、どこにでも走っていそうな、前面がズボッと平らな、レールバスと見まがうディーゼルカーである。
列車は、山の中に分け入っていく。山口線は、「SLやまぐち号」として、蒸気機関車を復活させて路線。両側に見える山の傾斜が、四十五度以上ある。そんな山々を抜ける卵型の短いトンネルを何度も抜ける。よくこんなところに線路を敷設したと感心する。幾つものトンネルを抜けた後、十時に津和野に到着。
列車を降りたのは数人だけ。駅の案内所で地図をもらい、街に入っていく。鯉のいる掘割のある道を抜ける。両側の家々は、百年以上の歴史を感じさせるものばかり。そこを通り過ぎ、目指すは津和野城跡。僕は、「鉄道フリーク」であると同時に「お城フリーク」でもある。
町を通り抜け、何度か道を尋ねながら、三十分ほど歩いて、城跡に登るリフトの乗り場に。十分ほどリフトに乗り、降りてから更に二十分ほど歩いて、津和野城址に着いた。明治時代に建物が解体され、今は石垣しか残っていない。訪れる人は少なく、リフトの乗り場から本丸までの間で、七、八人の人としか出会わなかった。城の跡は、深い草に覆われている。
道路わきの掘割に、鯉の泳ぐ街。気分だけでも涼しそう。