後の祭り・・・じゃなかった
京都市役所前での、「鷹山」の引き回し。三回に分けて、三十度ずつ回転していた。
「あれっ、後の祭りやったかも。」
十時ごろに烏丸御池に着く。地下鉄の駅から御池通に出ると、鉾や山はおらず、道沿いの観客席のパイプ椅子が、片付けられているところだった。七月二十四日、その日は祇園祭の「後祭」(あとまつり)の巡行が行われる日。僕が子供の頃は、祇園祭は「前祭」(さきまつり)と「後祭」の二回の巡行があった。それぞれ、別の鉾と山がパレードをする。しかし、一九六六年にふたつは統合される。ところが、それが、二〇一四年にまた分かれたのだ。規模としては、「前祭」の方が格段に大きく、「山鉾巡行」と言えば、「前祭」を指すことが多い。
御池通の東を眺めると、遠くに鉾が見える。東に向かって進んでいる。
「そうか、後祭は、逆回りなんや。」
僕は初めて知った。その鉾を追いかけるように歩いていく。鉾のスピードはメッチャ遅い。おまけに、市役所前や四条河原町で、方向転換「引き回し」をする。それに一台当たり十五分はかかるので、簡単に追いつくことができた。僕は「市役所前」で、「鷹山」の引き回しを見た。
「見やすいなあ。こっちの方がよっぽどええわ。」
僕はつぶやく。「前祭」のときと比べると、人出は十分の一くらい。簡単に最前列まで行ける。実際、至近距離から見えるので楽しい。
ここ数日、京都は三十八度近い気温で、その日も暑い日だった。巡行の道筋には、マラソンのコースのように「給水所」が設置されており、鉾や山を引っ張っている人や、一緒に歩いている人に、水が配られている。
「上に乗っている人は可哀そう。」
彼らは、水を受け取ることができないのだ。
僕は、河原町通を南に向かって歩き、四条通を西に向かい、何台かの鉾や山を追い抜きながら見物した。その日の夕方、激しい雷雨があり、気温はそれまでの三十七度から一挙に二十八度まで下がった。その夕立が、僕が京都で出会った最後の雨になった。その後は京都を発つ日まで、ひたすら晴天の暑い日が続いたのである。
翌日、二十五日、僕は昼から西陣病院で心臓の検査を受けることになっていた。検査は一時間ほどで終わり、僕はその後、北野天満宮に行った。毎月二十五日は、「天神さん」の縁日。実にいろいろな物を売る露店が並ぶ。僕は昨年、古道具屋で「出刃包丁」を買った。魚を三枚におろし、刺身にするためである。今年は更に「柳刃包丁」を買おうと思っていた。「出刃」でも「柳刃」でも、新しい物は一万円以上するが、中古なら数千円で買える。大抵は錆びているが、伝統的な日本の包丁は、研げばまた十分に使える。僕は、去年と同じ店で、無事「柳刃」を買うことができた。三千円だった。この包丁をじっくり研いで、魚の皮を引くのが今から楽しみ。
「後祭り」の沿線風景。人が少なくて、とっても見やすい。お勧め。