ハロー・グッバイ
ロンドンから十三時間の飛行の後、香港に到着する。
ここはヒースロー空港、第三ターミナル。僕はバーのカウンターでビールを飲んでいた。今日は七月八日。二日前に学年最後の授業があった。「学習発表会」なるものを企画した。保護者の皆さんに来ていただいて、生徒さんによる発表の時間。終わった後、お父さん、お母さんから、
「一年間ありがとうございました。」
と言われた。出発の前日に通知表を書き、最後の宿題の採点し、インターネットで送った。
僕のビールのグラスが空になった。
「お客さん、ビールが終わったら、これを開けようぜ。」
と、カウンターの中の兄ちゃん。そこには、僕が免税店で買った、「シーバース・リーガル十二年物」のウィスキーがあった。
「だ〜め。これを飲みだしたら、飛行機に乗れなくなっちゃうよ。」
夕方六時半に、飛行機は香港に向けて出発。飛行機の中では、ずっと絵を描いて過ごす。翌日の午後に香港に着いて、夕方の飛行機で関空に向かう。香港の空港で待っているとき、
「これから深圳の上を飛ぶよ。手を振るからね。」
Y老師にメッセージを送る。「老師」と言っても四十歳くらいの女性。僕は毎週、深圳に住む彼女から、中国語のオンラインレッスンを受けている。中国では「老師(ラオシュ)」は「先生」のこと。どんなに自分より若くても、先生なら「老師」。飛行機は離陸して、直ぐに深圳の上を通過。僕は窓に向かって手を振る。
夜十時に関空に到着。その日は無理して故郷の京都までは行かず、空港内のホテルに泊まる。それは、翌朝関空から英国に戻る、妻と下の娘に会うためでもある。妻と娘は、一足先に日本に来ていた。息子一家も同じ時期に日本にいた。今年亡くなった、上の娘の納骨のためである。忙しい息子の予定に合わせたところ、納骨は七月二日に行われることになり、まだ学校での授業を残していた僕は、それに出席できなかったのだ。
その日は、風呂に入り、空港で買っておいたウィスキーを飲み、二日ぶりに横になって寝る。四時間ほど眠る。もう少し眠りたいが、もうダメ、眠れない。これが時差ボケ。
翌朝九時ごろ、関西空港駅に着いた妻と娘を迎える。彼らがチェックインを済ませた後、カフェでお茶を飲む。娘はずいぶん日本語がスラスラ出るようになっていた。彼女はほぼ十日間、京都の僕の母と、金沢の義母の家に暮らしていたのだった。彼らは、息子夫婦と一緒に、片山津温泉に行って来たという。一時間ほど話した後、ゲートに消える二人を見送る。
「ホントに『ハロー・グッバイ』やなあ。」
特急「はるか」で京都に向かう。京都駅から地下鉄で北大路駅に。そこからタクシー。午後一時。母と再会する。オンラインでは毎週会っているが、直接会うのは、昨年の秋以来だ。京都駅に降りたとき、意外に涼しいのでホッとする。曇り時々雨。今年のヨーロッパは特に涼しい夏。日本に来て、暑さでバテるのを心配していたのだが、これなら大丈夫そう。
今回も、キャセイ・パシフィック航空に乗った。最近日本に来るのはずっとこの会社。