義父との約束
納骨を前に、墓の蓋が開けられる。
日本に帰った翌々日、二月二十日の昼過ぎに京都から金沢に向かう。「ジャパン・レイル・パス」をその日から使い始める。海外在住者しか買えないこの切符、二百ポンド(二万八千円弱)で、JR七日間乗り放題という、大変お得なもの。僕はこれを使って、函館から鹿児島まで新幹線を乗り継いで一日で移動するという、馬鹿馬鹿しくて誰もやらないことをやったこともあった。
「あなたを追いかけ、京都から金沢
悲しい女の ひとり旅です」
小柳ルミ子の唄う、河島英五作詞作曲「泣きぬれてひとり旅」に出てくる、このコース、僕は金沢大学に行っていたし、その後も、ヨーロッパから帰省するたびに、金沢の妻の里には顔を出していたので、もう百回くらい通った行程である。列車は、湖西線に入り、右側には琵琶湖が見える。雨は降っていないが雲がかかっており、琵琶湖の湖面は鉛色をしている。敦賀を過ぎて、北陸トンネルを抜けると、雲はますます厚くなり、いかにも冬の北陸の様相を帯びてきた。三年前に北陸新幹線が金沢まで開通したが、現在は敦賀まで建設中で、あちこちに新幹線の高架のためのコンクリートの柱が作られている。
金沢駅に着く。これまでは、義父がいつも車で迎えに来てくれていたのだが、今回はもちろんそうではない。駅からバスに乗る。妻の実家に到着し、義父の遺影と遺骨の前で手を合わせる。
「お父さん、約束は守りましたよ。」
と義父に報告する。実は、僕は数年前、義父と約束したことがあった。普段は感情を余り外に出さない義父が、泣きながら僕に頼んだことだった。「男の約束」。女性との約束を破って良いわけではないが。その後、僕は義父との約束を常に意識して生きてきた。そして、それを守って今日まで生きて来られたことを良かったと思っている。
「その約束とは何なの?」
それは、この文章を読んでいただいている方の、ご想像にお任せするしかない。
その夜、義母と近くの寿司屋に行き、ふたりで色々と義父の思い出話をした。金沢の家の居間にいると、本当に、義父が扉を開けて、廊下から居間に入ってくるような錯覚に陥る。常にそんな環境で生きている義母は、大変だと思った。
翌日は納骨。「御坊さん」と呼ばれる、女性の僧侶が来られて、義父の遺骨の前でお経を挙げてもらう。その後、義母、叔母、義理の妹と僕の四人で、遺骨を持って山の中腹にある墓に行った。僕たちが着くと、墓石会社の職員が、既に墓の前の石を移動させて、お骨の入る空間を開けてあった。素焼きの骨壺を墓の中に収める。もう一度短い読経。冷たい雨が降っていたが、幸い雪も降らず、積雪もなく、納骨はスムーズに運んだ。
その日の午後、義母、叔母、妹と四人での昼食の後、僕は妹に金沢駅までもらい、夕方までには京都に戻った。
雨の中の納骨。でも、雪がなくてよかった。