BLMデモ、何故今?
BLMのデモ。非黒人の参加者も多い。(メトロ紙より)
六月の初めの水曜日、その日も、ロンドンのチェルシーに、車でレッスンに出掛けた。その前週まで、まだまだ道路は空いていて、僕の住むハートフォードシャーから一時間以内でチェルシーに着けた。ロックダウン緩和の指針は示されていたが、まだその実施には至っていない頃。その日もスイスイとロンドンの街中に入れた。しかし、ハイドパークが見えるところで、ピタリと車の流れが止まってしまった。あちこちに、パトカーが青いライトをチカチカさせながら停まっており、何十人もの警官が道路沿いに立っている。
待つこと三十分、ようやく車の列が動き出した。ハイドパークの横を通ったとき、僕は驚いた。公園のスピーカーズコーナーの辺りに、何百人もの人が集まっていたからだ。デモが行われていたのだ。「ブラック・ライブス・マター」(黒人の生命も大切だ)のプラカードが見える。
「こんなんあり?」
僕は正直驚いた。ロックダウン開始後、「ソーシャル・ディスタンシング」ということに、政府は極端に神経質になっており、二人以上の人が集まって話をすることさえ禁じていた。しかし、そんなことが一切無視され、集会とデモが行われている。当時はマスクをしている人も半分以下だった。警官隊は遠巻きにはしているが、相手が多すぎて傍観しているように見えた。
ご存知のように、それは、米国のミネアポリスで、黒人のジョージ・フロイト氏が白人の警官によって殺された事件に端を発する、人種差別反対のデモだった。彼が死亡したのは五月二十五日、抗議デモは米国から世界各地に広まり、ロンドンでも行われたわけだ。僕の目から見ると、参加者は半分が黒人、半分は非黒人だった。つまり、黒人層だけではなく、他の層を巻き込んだ抗議行動だった。
「それにしても、何故今?」
僕は車で横を通過しながら、そう思った。僕も人種差別には反対、フロイト氏の死だけではなく、米国や英国にはびこる白人至上主義にも憤りを感じる。今日も、時間があるなら、デモに参加してもいいくらい。
「でも、皆が苦労して、何とかここまで達成したロックダウンの成果が、今このデモで台無しになったら、もったいない。」
その時、僕は強く思った。
「人種差別は、もう何百年も前から続いてること。その抗議行動、あと数週間、数カ月待てないの?」
その点、抗議行動の最も激しかった米国のロサンゼルスに住む友人のYさんと何度か話した。彼女は、
「デモは今じゃなくちゃいけない。これは何より大切なのよ。」
との意見。確かに、それも一理ある。幸いなことに、英国各地で一週間ほど続いた抗議行動の後でも、感染者も死者も目立って増えることがなかった。ああ、よかった。
六月の夜、十時半撮影。まだ、空に明るさが残っている。ほとんど白夜。