ロックダウン開始

 

一月末、ロンドン・チャイナタウンの春節。この時期から一気にウィルスが広がった。

 

月曜日から金曜日まで、午前中、「ホース・サンクチュアリ」(捨て馬保護センター)でボランティアをしている。金曜日の昼、家に戻り、一週間の作業で汚れた服を洗濯機に入れた後、近くのプールに行くのが、僕の楽しみだった。牧場での作業は結構足腰に来る。リラックスするために、四十五分ほど泳いだ後、スチームバスに入る。足に挟むひょうたん型のフロートを枕にして、タイルの上に横になる。(このフロート、舞妓さんの箱枕みたいで、首の下に入れると実に快適なのだ。)汗が出て来る。冬の英国じゃ、汗をかく機会もないもんね。一週間寒い所で働いた「ご褒美」、僕が「プファ〜」と声に出して一息つける瞬間だった。

「だった」と過去形で書くのには理由がある。その至福の瞬間は現在存在しないからである。三月二十日、金曜日の午後、僕は何時ものように洗濯機をスタートさせた後、スポーツセンターへ向かった。正直、スポーツセンターがまだ開いていること自体、驚きだった。新型コロナウィルスの感染が英国でも始まり、ドイツ、イタリア、スペインなどの国は、十日前から「都市封鎖」、「ロックダウン」に入っていたからである。「ロックダウン」という言葉、今では完全に定着しているが、当時はまだ新しい言葉だった。ともかく、その時、何故か、英国のボリス・ジョンソン首相だけは、ロックダウンに踏み切っていなかった。だから、スポーツセンターのプールも開いていた。

イタリアやスペイン、フランスで、毎日何百人という死者や、医療崩壊の様子が伝えられ、英国でも、毎日数十人単位の死者が出始めていた。スチームバスの中で寝そべりながら、

「おそらく、これが最後になるだろうな。」

と僕は考えていた。そして、予想通り、その日が最後になった。

 家に帰って、ラジオを聴きながら、夕食を作っていると、ジョンソン首相の演説が始まった。

「本日をもって、スポーツセンター、プール、劇場、映画館は閉鎖します。」

という内容だった。その後、三日間で、次々にロックダウン政策が発表された。学校の休校、パブ、カフェ、レストランの閉鎖、スーパーや食料品を扱う店、薬局以外の小売店の営業停止など。また、人の動きに関しては、原則として自宅待機。「エッセンシャル・ワーカー」(必要不可欠な職業の人)以外は在宅勤務。二人以上が屋外で会って話すことの禁止等。運動に関しては、一人一日一回一時間以内、「ソーシャル・ディスタンシング」が保てる範囲で、ということであった。

 「ロックダウン」と並び、この「ソーシャル・ディスタンシング」(社会的距離)という言葉も、それまで余り聞いたことがなかったが、数週間で完全に英語の中に定着した。英国における「今年の流行語ナンバーワン」を決めれば、おそらく、このふたつのうちどちらかが選ばれるだろう。

 

冬、泥の中でも、馬たちはたくましく生きていた。でも、さすがにひづめがめりこんで、歩き難そう。

 

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