サンクチュアリとは
サンクチュアリとは「聖域」のこと。つまり、閉じられた世界である。広大な牧場で独り働いていると、何か別の世界にいるような気がする。これまで働いていた、会社、人、プロジェクトがまだ存在することが、信じられなく思えることがある。馬のウンコを拾いながら僕はいつも思っている。
「わがままな顧客の相手をしているよりは、馬のウンコを拾っている方が、よっぽど楽しいわ。」
実際、会社を辞めるまで一年間、僕は、人間関係、特に日本人との人間関係に悩んでいた。
僕はクリスマスも元旦も、毎日牧場に出ていた。ジュリーや他のメンバーたちは、結構遠い場所に住んでおり、三十分、四十分かけて通っている。それに対し、僕は牧場のある町に住んでおり、車で五分もあれば牧場に行ける。せめてクリスマスの期間だけでも、他のメンバーに少し楽をして欲しかった。しかし、ジュリーは毎日来ていた。セーラも、
「学校が冬休みだから。」
と言って、頻繁に来ていた。ジュリーは、週日、朝餌遣りに来て、それから仕事に行き、仕事が終わったら夕方餌遣りに来て、そんな毎日を送っている。土曜日と日曜日も、ボランティアのまとめ役で牧場に詰めている。つまり、彼女はプライベートの時間のほぼ全てを、馬に捧げているのである。
僕がこの牧場で一所懸命働く気になっているのは、ジュリーの「思想」や「理論」に共鳴したからではない。彼女の「情熱」と「信念」に感動したからだ。僕は「動物愛護」ということに対し、これまで胡散臭さを感じていた。
「日本人はクジラを食べるなんて何て残酷な。」
「中国人は犬を食べるなんてとんでもない。」
そう言っている人たちが、平気で、牛、豚、羊の肉を食べている。僕は、熊本で馬の肉の刺身、「馬刺し」を食べたことがある。そんなことを他のメンバーに言ったら、まず絶交されるだろうな。でも、もし次に馬刺しを食べられる機会があれば・・・僕は食べるだろう。食用に飼育された動物を食べるのは、牛でも、豚でも、羊でも、そして馬でも同じだと思うから。
馬牧場の仕事は、完璧主義者にはできない。やっとウンコを拾い終わったと思ったら、横で馬がポタポタとウンコをしている。雨の日、濡れた藁の上のウンコを馬が踏んだら、もう回収は不可能。トレーシーは、
「私たちは、出来るだけのことをすればいいのよ。」
とよく言う。彼女の言う通りだと思う。お互いボランティアなのだ。お金を貰っているわけでもないし、契約で縛られているわけでもないから。
今回、働きだして二カ月目でこのエッセーを書いた。しかし、必ず続編がある。日々、馬さんが新しいことを教えてくれる。また数か月したら、そのことについて書いてみたい。