デ・ジャ・ブ
歩いていると古代遺跡の発掘地が現れた。
「これってデ・ジャ・ブだ。」
と僕は妻に言った。
「おならでもしたの?」
「違うって、一度も見たことのないはずの景色を、前に見たことがあるように思うってこと。」
僕らの目の前には、崖の下に海が光っていた。崖には松の木が生えている。
「この風景、どこかで見たぞ。」
僕は一所懸命思い出そうとする。そして思い出した。それはドイツの風景画家、カスパー・ダヴィット・フリードリヒの絵だった。
砂浜から岬を回るときはかなり坂を上らなければならない。上りきったところ、つまり岬の先端にはベンチが置いてある。そこに座って少し休憩する。天候が回復し、太陽が顔を出している。翡翠色の海の水はあくまで澄んでいて、底まで透き通って見える。エーゲ海の色である。松の緑、地面に落ちた松葉と崖の赤い色、そして薄い緑色の海。なかなか絵になる風景である。
二時間ほど歩いて、「亀のいる池」と地図に記されている砂浜まで来た。夏の間はそこが海水浴場になるらしく、「海の家」的な建物が数軒立っている。もちろん、今は閉まっており、誰もいない。その近くの丘の上に、ホームレス風の汚い親爺が、実にいい加減な掘っ立て小屋を建てて住んでいた。僕らが前を通ったとき、彼は外で食事をしていた。
「あんたら、サニから来たのかい。」
と親爺が英語で聞いてくる。それも訛りのないきれいな英語で。
「ホームレス親爺と言っても侮れないぞ。」
と妻と僕は顔を見合わせた。
「これ、あんたの犬かい?」
と僕は親爺に、傍にいた白と茶色の犬を指して言った。そうだと親父は言う。
親爺と別れた後も、その犬は一キロほど付いてきた。今回、人気のない村にはよく犬がウロウロしていた。彼らも寂しいのか、人恋しいのか、僕たちが歩いているとよく寄ってくる。余談だが、僕らは十年以上一緒に暮らしていた犬を今年九月に亡くしていた。死んだ犬は娘たちと一緒に、近くの森の中に埋めた。ともかく、犬の方も、
「この人たちは犬好きだワン。」
と本能的に感じるのか、僕たちに近寄ってくる。
「亀のいる池」は、夏の間だけだと、親爺が言った。今、亀は冬眠しているのだろうか。今日はアップダウンの激しいコースを歩いたので、ここまでにして引き返すことにする。全長九キロのコースをちょうど半分歩いたことになる。二時前にリゾートに帰り着く。休み休みだが、結局四時間以上歩いた。
まだ時間があるので、少しドライブをすることにする。目的地は妻のご推薦のポリギュロスという町。
「入れ歯の接着剤みたいな名前の町やね。」
そんなことを言いながら、僕は車を走らせた。
「ガイドドッグ」になってくれた、ホームレス風の親爺の犬。