遺品整理

安置された父の遺骨と位牌。遺影は僕が撮ったもの。

 

父は何かと用意の良い人だった。例えば今回の遺影の写真も自分でしっかり準備をしていた。数年前、僕が一時帰国した際、突然、

「葬式用の写真を撮ってくれ。お前、ええカメラ持ってるやろ。」

と言い出した。僕にとっては「突然」だが、父は僕が帰ってきたら写真を撮らせようと、「周到に」準備をしていたに違いない。

「ええのはカメラだけやないで。腕もええねんで。」

そう言って、僕は玄関先で父の写真を撮った。

また、父は物持ちの良い人、筆まめな人、旅行の好きな人、時間厳守な人であった。「旅行好き」、「時間厳守」、この二点で僕は父の血を確実に受け継いでいる。

 継母が仏壇の横にある書類の入った封筒の束を整理してくれというので、仏壇の左側から始める。旅の好きな父は、あらゆるパンフレット類を全て残していた。多分、昭和三十年くらいからだと思う。旅先で乗ったバスの時刻表とか、そんなものまで。父には悪いが僕はほとんどを捨てることにした。

 仏壇の左側がほぼ片付き、次に右側にある封筒を開けてみて、僕の手は止まった。一瞬ジーンと胸が熱くなる。そこに入っていたのは、僕自身が書いてホームページに載せているエッセーだった。父はほとんど全部を印刷して残していた。翌日、ファイルを買ってきて、自分のエッセーを綴じた。自分の書いた物を読みながら片付けるのは変な感じ。ファイルを本棚に仕舞う。隣には姉の著書が並んでいる。筆まめな父の血を継いで、書くのが好きな子供達だ。

次に「釣書」を発見。父と継母の仲立ちをした人が、母の経歴を父に紹介するために書いたもののようだ。早速継母に見せる。

「お母さん見て見て、お母さんの釣書。結構良いこと書いてあるやん。」

「恥ずかしい。」

継母は照れている。

旅行のパンフレット類を整理したとき、旅館の名前の入った「箸紙」、つまり、割り箸の入った袋だけはなかった。

「さすがのお父ちゃんも、そこまでは恥ずかしいと思ってせんかったんや。」

と僕は思った。ところが翌日、棚の上から箸紙のギッシリ詰まった箱を発見。

「お母さん、見て見て。これ見たら絶対笑うで。」

箸紙の束を前に、ふたりで大笑いをする。箸紙の隣の箱を空けると、旅館の名前の入ったマッチが一杯。

「これちょっと危ないで。」

「ホンマ、何でも残す、物持ちの良い人やったんやなあ。」

とふたりで改めて感心する。